下田散策3 開国史跡めぐり

6日の最後に訪ねたのは了仙寺。1854(嘉永7)年にペリーと日本全権が日米和親条約の付属条約、下田条約を締結した場所として知られています。
5月にはジャスミンの花の香りに包まれるのですが、いまは花も香りもなく、静かでした。

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境内にある黒船ミュージアムMoBSで開国関係の資料を見学してきました。

7日は、爪木崎の水仙を見たあと、玉泉寺に立ち寄りました。
玉泉寺は、下田条約が締結されると、アメリカ人休息所・埋葬所に指定されました。1856(安政3)年7月、タウンゼント・ハリスが総領事として下田に着任すると、8月に玉泉寺に総領事館を開設しました。そして公使館が59年7月に江戸元麻布の善福寺に移されるまで開国の歴史の舞台となりました。
10年ほど前に下田に来たときには玉泉寺には行くことができなかったので、初めて訪れることができました。

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境内にはアメリカ人・ロシア人乗組員の墓や「牛乳の碑」などもありました。少し時間があったのでハリス記念館を見学しましたが、ハリスの領事館当時の愛用の遺品や、通訳のヒュースケンに仕えたおふくの遺品などが展示されていました。ただ、展示の説明の中に、ハリスの日米友好に貢献したという功績を強調するあまり、日米修好通商条約について、アメリカに領事裁判権を認め、日本に関税自主権がなかった、日本には不利な不平等条約であったとする評価を「捏造」としているのはきわめて疑問で、訂正すべきだと思いました。

玉泉寺からは海岸伝いに歩き、まどが浜海遊公園を経て黒船遊覧船の乗り場へ。
ペリー艦隊の旗艦サスケハナ号をモチーフにした遊覧船に乗りました。20分ほど下田港をクルージング。船にまとわりつくようにカモメが飛んでいました。
下田の街を海から眺めました。

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下船後、地魚と穴子がうまい店という看板を見つけて「勝」という店で昼食をとりました。私は地魚丼を注文しました。

「勝」からはみなと橋を渡り、稲生沢川沿いの大川端(みなと通り)を接岸された漁船やクルーザーを見ながら、ペリー上陸記念公園まで歩きました。

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ペリー艦隊上陸記念碑にはペリーの胸像があり、そこがペリー艦隊が上陸したところでした。

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そこからはペリー艦隊が上陸し了仙寺まで歩いたといわれる約700mの通り、ペリーロードをゆっくり歩きました。平滑川に沿って柳の並木が続き、石造りの家や古民家を利用したレトロな店が並んでいます。その中の一軒、大坂橋のたもとに建つカフェ&ギャラリー「草画房」で休憩しました。ペリーロードに行ったら立ち寄りたいと思っていたカフェです。私たちは、コーヒーとチーズケーキを注文しました。
伊豆石と銅板で作られた築100年ほどの古民家を改装したということです。私たちは窓際のテーブル席に座りましたが、靴を脱いで上がる座敷があり、その奥には中庭もありました。
店内は、昔ながらの電球の明り、外の景色が歪む大正ガラス、床に無造作に置かれた火鉢、天然木の一枚板のテーブルなどがあり、お客がくつろいでいました。
ご主人が金沢まで出かけて絵付けしたという九谷焼きのコーヒーカップに注がれたコーヒーと皿には水仙の花とともにチョコレートが1つ載せられていました。 
ご主人が妻と話したりして、下田散策の最後をゆっくりくつろぎながらコーヒーを味わいました。

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店を出ると、ご主人が私たちの写真を撮ってくれました。

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こうして天気に恵まれた2日間の下田旅行は幕を閉じました。

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