学校・部活動における重大事件・事故から学ぶ研修会を聴講する

日本体育大学の南部さおり准教授が中心となって開催された第3回学校・部活動における重大事件・事故から学ぶ研修会が1月30日、同大学記念講堂で開かれ、聴講してきました。

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これまでの2回は部活動中に子どもを亡くした遺族が登壇し、指導者の理不尽・不適切な「指導」によってわが子が死亡した状況、学校や教育委員会の隠ぺいの実態を語りました。第3回目は、「いじめむ問題、「指導死」の問題をテーマに、子どもがいじめの被害を受けた父親と、「指導死」で子どもを亡くした2人の遺族が登壇しました。

第1部「いじめ」問題について共に考えよう では、神戸市立小学校で5年生だった息子さんが、2005年春頃より1年余りにわたって言葉による精神的な嫌がらせや肉体的暴力などのいじめに遭ったうえ、50万余の恐喝被害を受けた父親が、いじめの状況と学校・教育委員会の隠ぺいの実態を語りました。
父親は、学校や加害者等がよく使う言葉について、たとえば「いじめられる側にも原因がある」は、いじめる側の都合でいじめる理由を勝手に決めているだけで、ただの偏見ではないか、とし、偏見を捨てて、教師・指導者になってほしい、と訴えました。そして、いじめ被害者の心境について、息子さんの体験から、息子さんがあるいじめの裁判で裁判長に向けて書いた意見書を読みました。
「どんなに辛いことでも終わりがあるとわかっていたら、人は誰でも我慢ができます。しかし、いじめにはその終わりがありません。誰も泊めてくれません。誰も助けてもくれません。それかならこの先、生きていてもしようがないと考えるのが被害者です」
「やがて自分のどこかに悪いところがあるのだと、自分自身を責めはじめます」「そうして今度は、そんな自分が恥ずかしく、情けなく思ってしまいます」
「終わりが想像できた時は我慢ができました。なんとか一人で耐えていました。しかし、それが一生続くと思った瞬間、生きる気力を失いました。ほとんどの被害者は私と同じではないでしょうか」「被害者は苦しいから死ぬのではなく、楽になりたいから死を選ぶのだと」
読んでいる間、会場は静まりかえっていました。

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第2部「指導死」とは何か、子どもを追い詰めない「指導」のあり方を考える では、長崎市立中学校で中学2年の息子さんを亡くした安達和美さん(「指導死」親の会共同代表)と、埼玉県新座市立中学校で中学2年の息子さんを亡くした大貫隆志さん((「指導死」親の会共同代表)が登壇しました。
安達さんは、息子さんが、2004年3月、掃除時間中にトイレの手洗い場でライターをもっているところを担任に見つかり指導を受け、その際、たばこの所持が見つかり、多目的教室で放課後個別指導、指導の終わり近く、「トイレに行く」と教室を出て、4階の窓から飛び降り自殺した経緯を説明しました。学校は翌日に、遺族に連絡もないまま「行き過ぎた指導はなかった」と記者会見、市教委は指導が原因とは認めず、文科省には転落事故として報告。安達さんは、学校側の指導の責任を問うため長崎地裁に提訴しましたが、2008年6月の判決では、指導と自殺との間には事実的因果関係があると優に認められるとしながらも、教育的配慮に欠けた点があったと認められるが、指導の範囲を著しく逸脱したものとまではいえないとして、原告側の請求は棄却されました。
しかし、安達さんは、指導上の問題点として、「部停」(部活動停止)という些細な問題行動でも連帯責任で部活動停止になること、密告の強要、日頃からの暴力による恐怖心で出生徒を管理・支配していたこと、密室での1対1の指導、何の配慮もなく指導中に生徒を1人にしたこと、指導後のフォローの欠如、息子を追い詰めた心の逃げ場のない指導などをあげ、子どもは間違いながら育っていくものであり、もっと子どもの声を聴くことを忘れない教師になってほしい、と語りました。
大貫さんは、2000年9月に息子さんが学校でお菓子を食べていたことが見つかり、反省文と奉仕活動、そして臨時学年集会で生徒の前で決意表明をすることを求められ、自宅マンションから飛び降り自殺したことを契機に、生徒指導を直接の原因とした、あるいはきっかけとした子どもの自殺を表す言葉として「指導死」という言葉を07年頃から使い始めたということです。
大貫さんは、平成に入ってから現在まで66件の「指導死」があり、「教師」と「生徒」の関わりの中で、教育の名のもとに見過ごされてきたこと、しかも、その88%は暴力行為ではなく、指1本触れずに子どもが死に追いやられていること、部活動を背景とする「指導死」は20%に過ぎず、大多数の「指導死」は、通常の学校生活の中で、暴力を受けることなく、精神的・肉体的に追い詰められ、死へと追いやられている、と指摘しました。そして、長時間の適切さを欠く「身体的拘束」、複数の教員で取り囲む「集団圧迫」、心理的外傷を負わせる「暴言」や「恫喝」、してもいないことを責める「えん罪型対応」、反省や謝罪、密告などの「強要」など10項目の行為を、果たして指導なのか、と問い、強いストレスと「生きづらさ」の中で生きている子どもたちは、失敗も逸脱も許されない、しっかりした子どもほど苦しさを訴えないなかで追い詰められていることを指摘しました。

「いじめ」への対応をみていると、学校や教育委員会の隠ぺい体質は、いじめ問題が起きるたびに、相変わらず露呈しています。いじめの問題が起きたならば、きちんと事実関係を調べて関係者に伝えることが大事だと思います。
「指導死」の問題は、暴力行為によるものが多いと思っていただけに、認識を新たにしました。

この研修会で学んだことは、大学での生徒指導の授業の中で生かしていきたいと思っています。

なお、会場には、昨年12月に日本体育大学が刊行した『スポーツ指導者のためのガイドライン』が置かれていました。

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このパンフレットは、暴力と不正から、人間の尊厳や平和のためのスポーツを取り戻し、スポーツを真の人間文化たらしめる使命が日本体育大学にはあるとし、このことを伝えるために、これから教職や指導の現場に立つために大学で学ぶ学生や、現場に立っている卒業生への願いを込めて編修されたものであるとしています。内容は、(1)体育教師、指導者の倫理、(2)具体的な倫理(体罰・暴力・ハラスメント、薬物、ドーピング)、(3)リスクマネジメント、(4)良き体育教師、指導者のために、からなっています。

このパンフレットは、日体大関係者だけでなく、教職やスポーツ指導者を志望している学生にも、ぜひ取り寄せて読んでほしいと思います。

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