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zoom RSS 和歌山への旅 熊野古道

<<   作成日時 : 2017/05/09 17:10   >>

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5月5日の午後は、熊野古道の中でも観光ルートの1つとなっている中辺路(なかへち、口熊野・田辺〜熊野本宮大社)の起点・滝尻王子の見学と、牛馬童子像から近露王子跡までの間を歩きました。

滝尻王子は熊野三山の神域への入口として古くから重んじられ、藤原宗忠の「中右記」には「初めて御山の内に入る」とあり(1109年10月23日条)、境内には「中辺路 起点」の標識も立っていました。

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拝殿裏手からの道は急な登りの山道になっており、ガイドの「滝尻王子からいきなりの急坂は参詣者にいよいよ始まるという気持ちを持たせた」という説明に、なるほど、と思いました。

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滝尻の名は、富田川と石船(いしぶり)川の合流する地点にあり、2つの急流がぶつかり合ってた滝のように音高く流れたことに由来すると伝えられ、ガイドは「合流地点はパワースポットになっている」と言っていました。

道の駅熊野古道中辺路のある牛馬童子入口から近露王子跡までの約1.3Kmをガイドの説明を受けながら歩きました。
杉木立の中の道を少しずつ登り、しばらく行くと「一里塚跡」の標識があり、ガイドの説明では、江戸時代、8代将軍吉宗のときに整備されたとのこと。そしてさらに歩くと、箸折峠宝篋印塔(ほうきょういんとう)の裏手に建っている石仏があり、それが牛馬童子像でした。思っていたより小さく、高さは50cmほどでした。平安時代の花山天皇の旅姿を偲んで明治時代に彫られたという像は、パンフレット等に写真が載せられており、中辺路のシンボル的な存在になっています。

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箸折峠からは下りの道になり、視界が開けたところからは、点在する集落や新緑の山々がきれいに眺められました。

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石段の道を注意してくだり、しばらく進むと、民家が現れ、日置川にかかる橋を渡ると、左手に森が見えてきます。そこが近露王子跡でした。

ガイドによれば、「ちかつゆ」の地名は、花山法皇が、藤原氏の策略にあって出家とともに皇位を失い、失意のうちに熊野御幸に旅立ったとき、峠で萱の茎を折って箸にして食事をとろうとしたところ、茎から露がしたたり落ちたのを見て、法皇は「これは血か、露か」と側近にたずねたことから、以来、ふもとの里を近露(ちかつゆ)、峠を箸折峠と呼ばれるようになったといいます。

近露王子は参詣に備えて日置川で禊ぎを行う霊場となっており、近露は宿場として早くから発達していたところといわれています。
明治時代には王子神社と呼ばれていたそうですが、現在は社殿はなく、近露王子があったことを示す碑が建っているだけです。その理由は、明治末期の明治政府による神社統廃合政策により合祀廃絶されてしまったためでした。
明治政府は、1906年、国家神道の権威を高めるために、土着の信仰・習俗を否定し、各集落にある小神社を1村1社にまとめ、日本書紀など古文書に記載された神だけを残す「神社合祀令」を布告しました。この結果、和歌山県では約3700あった神社が約600に統廃合されました。しかも、統廃合された神社の森はその多くが伐採され、売却されて得たお金は市町村の財産とされました。
神社統廃合により鎮守の森が失われていくことに対して神社統廃合反対運動を行ったのが、和歌山県生まれの博物学者・生物学者である南方熊楠でした。熊楠は、鎮守の森には未解明の苔・粘菌が多く棲み、伐採されると絶滅するおそれがあり、エコロジー(生態学)という言葉を日本で初めて使い、生態系を守るという立場から、政府のやり方を批判しました。熊楠らの運動の結果、1920年、国会で「神社合祀無益」の決議が採択されるまでになります。
世界遺産に指定された熊野古道には、樹齢800年の杉などの巨木がありますが、熊楠がいなかったならば伐採され、その姿を今見ることはできなかったのではないかと思わざるを得ませんでした。

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「近露王子之跡」の碑

また、境内に建てられている「近露王子之跡」の碑は、案内板によれば、1933年の3月にこの地を訪れた大本教の教祖・出口王仁三郎が、当時の村長・横矢球男の依頼に応じて筆を執ったものを彫りつけて34年1月に建立したものでした。ところが、35年の第二次大本教事件による弾圧があった際、碑面の「王仁」の署名を削り、「横矢球男謹書」と改彫し、この碑は王仁三郎の筆跡を模写したものに過ぎないとの文書を警察に提出し、破壊を逃れたものでした。大本教の施設をはじめ王仁三郎に関する物はことごとく破壊されただけに、弾圧を逃れた王仁三郎の筆跡として貴重なものであることが分かります。
いま共謀罪法案が国会で審議されていますが、第二次大本教事件は、戦前の治安維持法が共産主義運動を取り締まるもので一般国民には関係ないとされながら、拡大解釈され、宗教団体にまで適用された最初の事件でした。共謀罪法案の危険性もふと頭をよぎりました。

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