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zoom RSS 教育勅語復権をめざす安倍内閣

<<   作成日時 : 2017/04/03 18:42   >>

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安倍内閣は3月31日、戦前・戦中に教育の基本方針とされた教育勅語について、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定しました。これは、民進党の初鹿明博衆議院議員の質問主意書に答えたもの。(『朝日新聞』2017年4月1日朝刊)

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『朝日新聞』2017年4月1日朝刊

この政府答弁書は大きな問題があります。

天皇主権の大日本帝国憲法のもとで、「朕」すなわち明治天皇が、「臣民」に示した教えであり、戦前の教育の基本方針とされたのが教育勅語です。

教育勅語は、天皇と国家への服従を説き、特にアジア・太平洋戦争中には、国民を戦争へと駆り立てる役割を果たしました。国民には教育勅語を批判する自由はなく、教育勅語を暗唱させられ、天長節(現在の天皇誕生日)などの儀式には、校長が教育勅語を奉読し、ご真影(天皇・皇后の写真)とともに神格化されていきました。

稲田朋美防衛相は「教育勅語の中にある親孝行とか、夫婦仲良くするとか、友達を大切にするとか、日本は世界中から尊敬される道義国家めざすべきだという考え方が核だと認識している」とし、「教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と発言していますが(3月9日の参議院外交防衛員会での答弁)、親孝行、夫婦仲良く、友達を大切に、など教育勅語が説く徳目を肯定的にとらえるべきだ、という主張は、教育勅語に郷愁を感じる自民党などの人たちの間で戦後一貫して言われてきました。

しかし、教育勅語の本質は、こうした徳目を実行することで「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」(いざという時には一身を捧げて天皇のために尽くせ)と国民に求めたところにあります。

こうした歴史的事実を教えるための「資料」として教育勅語を使うことはできるし、高校に在職していたときは、日本史の授業で教育勅語がどのようなものであったか、内村鑑三の不敬事件などにも触れて教えてきました。現在、大学では「特別活動」の授業を受け持っていますが、教育勅語や日の丸・君が代が学校行事の中でどのように扱われてきたか、教えています。

しかし、安倍首相が「戦後レジュームからの脱却」を説き、大日本帝国憲法と同じような発想に基づく憲法改正草案を作成している自民党の政権が、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」国民を育てるために道徳の教科化を行ってきた一連の動きを考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環とみることができます。
教育現場で教育勅語をなし崩し的に復権しようというねらいがあることは否定できません。
松野文部科学相は教育勅語の授業での活用について「適切な配慮の下であれば問題ない」としていますが、何が「適切」なのか、それを誰が判断するというのでしょうか。

教育勅語は戦後、1948年に衆議院で排除の、参議院で失効の決議がされました。
参院決議はこう述べています。
「われらは日本国憲法にのっとり、教育基本法を制定し、わが国とわが民族を中心とする教育の誤りを払拭し、真理と平和を希求する人間を育成する民主主義的教育理念を宣言した。教育勅語がすでに効力を失った事実を明確にし、政府は勅語の謄本をもれなく回収せよ」
今回の閣議決定は、この決議と真っ向から対立しているものとなっています。

親孝行、友だちと仲良くなどの徳目は、何も教育勅語を持ち出さなくても、小学校や中学校ではすでに道徳の授業の中で、その精神は教えられています。
歴史研究者の住友陽文さんは、「親孝行や友人を大事にということが教育勅語由来の道徳ではないのに、教育勅語にも良いことが書いているのだから、内容を教材にするのはいいじゃないかと言うのは、やはり内容ではなく教育勅語そのものにこだわってるからだ。でなければ、そういう道徳だけを取り出して教えればいいだけの話」とTwitterに書いていますが(4月1日、https://twitter.com/akisumitomo?lang=ja)、その通りだと思います。

教育勅語にある12の徳目は「今日でも通用するような内容が含まれている」からといって、教育勅語を暗唱させたり、教育勅語を根拠にその徳目を教えるなど、学校で活用することは許されません。
教育勅語は国民主権、基本的人権の尊重など日本国憲法の基本原則と相いれないものであり、憲法や教育基本法にも違反するもので、学校現場にふさわしい教材とは到底、言えません。

住友さんは、「何かの道徳を言う時、教育勅語に依存しようという議論が繰り返し出てくることの意味は何だろうか。この問いは明治維新後の日本にまず向けられなければならない。教育勅語は儒教精神だけでない。公益や博愛も謳われている。なぜそれら私徳や公徳を直後に依存しなければ語ることができなかったのか。21世紀の今、それでもなお教育勅語が持ち出されることを内省的に考えてみる必要はないか」と問いかけています(同前、Twitter)。
教育勅語の復権を許さないとともに、住友さんの提起を議論する必要があると思っています。

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