三鷹の一日

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zoom RSS 竹田城跡

<<   作成日時 : 2014/08/23 10:37   >>

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8月18日は兵庫県朝来市にあり、標高353メートルの古城山の山頂に築かれ、しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」とか「日本のマチュピチュ」とか呼ばれ、多くの観光客が押し寄せるようになった竹田城跡に行ってきました。

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山城の郷でマイクロバスに乗り換え、中腹の駐車場へ。そこからは約20分、なだらかな坂道を歩いて城跡までいきます。城跡への道も、すでに多くの観光客で賑わっていました。

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津丹波から西進する山陽道と播磨から北上する播但道が交わる和田山は古くから交通の要所で、その和田山に近い古城山の山頂に竹田城は築かれています。山城というと現在は樹木に覆われ山と一体化としているところが多いのですが、ここは、視界を遮る樹木がほどんどなく、全体の縄張りを一目で見渡すことができ、また、眼下の町並みから付近の山並みまで見渡すことができます。

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城跡は、炎天下でしたが、さわやかな風がときおり吹き渡り、それほど蒸し暑さは感じませんでした。

ガイドさんからは、嘉吉の乱(1441年)の前後、播磨守護赤松満祐と対立していた但馬守護山名持豊(宗全)が1431(永享3)年に築城を開始し、43(嘉吉3)年に完成、太田垣光景が城主になり、1577(天正5)年の豊臣秀吉の但馬攻めで豊臣方に落ち、豊臣秀長が城代となったが、85年に龍野城主の赤松広秀が城主となり、現在の縄張りを完成させたこと、そして広秀は、関ヶ原の戦いで石田三成方に付いて敗戦、徳川に鞍替えしたものの、鳥取城攻めの際の城下の大火の責めを負い切腹、竹田城は廃城となったという、竹田城の歴史について説明を受けたあと、石垣の前では、穴太(あのう)積み、算木積みの石積み技法の説明を受けました。

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廃城になってから400年間経っていたにもかかわらず、山頂の地形のままに総石垣で構築された、その石垣がほとんどそのまま残されているのに驚きました。
観光客の増加に伴い、石垣の一部が崩落する危険性もあることが指摘されています。史跡への影響をできるだけ抑えていきながら、観光との両立を図っていくことにも関心を持つことが必要になっています。

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