『ヒゲの日本近現代史』を読む

大学院時代の友人である阿部恒久さん(共立女子大学)から『ヒゲの日本近現代史』(講談社現代新書、2013年)を送っていただきました。ありがとうございました。

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阿部さんは、『近代日本地方政党論』や『「裏日本」はいかにつくられたか』の著作で知られるように、近代日本の政治史・地域史研究をされてきた研究者ですが、最近は男性史にも目を配られ、その中で、日本近現代史・男性史の観点からヒゲの歴史を書かれたのが、本書です。

ヒゲは基本的に男性にしか生えないこともあり、ひげを蓄えることは男らしさや権威を示し、弱い立場にある者への権力性を誇示する働きをもっていた時代が、かつての日本にもありました。ヒゲの持つ意味が時代によってどのように変わってきたのか。本書によって知ることができます。

江戸時代は1670年の「大ひげ禁令」以降「ヒゲ無し」時代となりましたが、それが復活したのは、開国による欧米人の来日を機として始まり、維新政府の文明開化政策のなかで大流行します。天皇をはじめ権力者、官僚、学者、教師などがひげを蓄えるようになります。そこには欧米人と対等になりたいという願いもあったが、ヒゲは一般民衆に対する権力性を表す記号でもあったことを指摘しています。

明治後期におけるヒゲの意味については「ヒゲは男の威厳を保つ」ために不可欠であるという考えが支配的であったことを指摘したうえで、同様の考えを持つ寺田四郎のヒゲに関する本格的な研究書である『ひげ』(1911年)の内容を紹介しています。

明治後期から大正初期にかけてのヒゲの様相を雑誌『太陽』に掲載された写真を分析し、どのようなヒゲが流行っていたのか、またヒゲ有り/ヒゲ無しの割合はどれくらいだったのかを明らかにしたのは興味を引きました。日露戦争後から第一次世界大戦が始まるまでの10年間で、ヒゲ有りは1204人(82.3%)で、八の字髭が圧倒的に多く、カイゼル髭や英国形はそれほど多くなかったことを明らかにしています。

大正デモクラシー期になると、アメリカ文化の影響が映画を通して日本にも流れ込み、若い世代を中心にヒゲ無し世界が広がったこと、ヒゲは、支配階級の権力性だけでなく、男性が女性に対して男性であること、男性のアイデンティティのためという意味が強まったことことを指摘しています。なお、アメリカにおけるヒゲ無しの拡大には安全カミソリの開発・普及が貢献していたことにも言及されています。

昭和戦前期の軍国主義時代には、戦意高揚にヒゲを利用しようとする言説、試みが多くなったことを指摘し、また、戦争の長期化のなかで、髭を蓄えざるを得ない兵士は多くなったものの、国産安全カミソリが量産されて戦地に送られたことから、兵士も非戦闘態勢時にはヒゲを剃っていたと推測しています。

戦後の、とくに復興期から高度経済成長期には、サラリーマン社会が広がることによってヒゲ無しが拡大したこと、1960年代後半になると若者を中心に、「非体制」「反体制」の記号としてのヒゲと、「おしゃれ」「男らしさ」を表現するためのヒゲと、2つの流れがあったことを指摘しています。
そして「ヒゲの現在」は、「おしゃれ」「男らしさ」を表現するヒゲの流れはいっそう拡大している一方、脱毛してヒゲを生えないようにしてしまう「ツルン」の若者と、ヒゲ剃り型のヒゲ無しと、大きく三極化している、ととらえています。

阿部さんは、ヒゲをめぐる状況が変化する要因として、①権力側の働きかけ、②欧米を中心としたヒゲのあり方=外国文化の影響、③女性の目線、④カミソリなどの危惧の発達、の4つをあげています。

ヒゲのもつ意味は時代によって変わってきます。ヒゲがどのような記号をあらしているのか、それに注意しながら、状況の変化をとらえることも、いまの時代は必要なように感じています。

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