津波てんでんこ

『朝日新聞』4月3日付朝刊に「『津波てんでんこ』痛感」と題して、1秒でも早く各自で逃げるしかない、という意味の「津波てんでんこ」を唱え続けてきた岩手県旧綾里村(現・大船渡市)出身の津波災害史研究者の山下文男さん(87歳)が、入院中の県立高田病院で東日本大震災の津波に襲われ、九死に一生を得たことが報じられています。

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山下さんは、1896年の明治三陸津波で祖母らを亡くし、それから37年後、小学3年とき、1933年の昭和三陸津波を経験しています。昭和三陸津波では3000人以上の犠牲者を出しましたが、明治三陸津波ほどの惨事にはなりませんでした。それは、震度5の強震があったこと、明治三陸津波の被害を覚えている人がたくさんいたこと、また、津波の来る前に海水がものすごい勢いで引き潮になったため、津波の危険が大勢の人びとに伝わり、いち早く逃げることが出来たためといわれています。

「てんでんこ」は三陸地方の方言で、「それぞれめいめい」という意味で、山下さんは、津波の時はてんでんばらばらね親子といえども人に頼りにせずね走れる子どもは一目散で逃げろ、そして一家全滅、共倒れになることを防げ、という三陸地方の知恵だと説明しています。
同時に、「てんでんこでやろう」ということは、最初から認め合っているという意味合いもあり、津波のときは人にかまわず逃げろ、自分だけ助かってもそれは非難されることではない、それだけ津波の避難は厳しいものだ、と山下さんは言っています。
さらに、てんでに走って逃げられない人について、普段から足の弱いお年寄りや弱者は、家族で誰が助けるかを話し合っておく、家族で助けて逃げることができないときは、近隣で助け合うことを決めておく、地域の防災力は日頃の話し合いや助け合いによって高められるものではないか、と主張されています。

山下さんは、約30年前から津波の被害記録や証言を掘り起こす活動を始め、著書などを通じて津波の記憶を語り継ぎ、逃げ延びる心構えを「津波てんでんこ」という言葉で広めてきました。

今回の東日本大震災でも、津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市と大船渡市で、津波に備えた知恵や工夫が奏功し、多くの子どもたちの命が救われたことが報じられています(「『てんでんこ』三陸の知恵、子どもたちを救う」、YOMIURI ONLINE 2011年3月28日)。

「釜石市で、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された。
市は2005年から専門家を招いて子供たちへの防災教育に力を入れており、その一つが『てんでんこ』だった。」

昔からの言い伝え、先人の知恵が生きている、印象的なエピソードです。

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