3.11から8年

散歩の途中、久しぶりに北野中央公園に立ち寄ると、セイヨウミザクラの木が花をつけていました。木の向よりこうには外環道工事のクレーンの、空を突き刺すようにしている姿がみえました。

画像


その姿とダブるように目に浮かんだのは陸前高田市の奇跡の一本松でした。

画像
安田菜津紀「それは、誰のための希望なのだろう」より

フォトジャーナリストの安田菜津紀さんは、震災直後、義理の両親が住む陸前高田を訪れ、何とかシャッターを切ることができたのは、朝日の中にまっすぐに立ち続ける一歩の松でした。この松はきっと、人に力を与えてくれる存在になるはずだ、と。その写真はのちに、「希望の松」というタイトルとともに新聞に掲載されましたが、その記事を見た義父は、険しい表情で、こう語ったと言います。「あなたのように、以前の7万本だった頃の松原と一緒に暮らしてこなかった人間にとっては、これは"希望の象徴"のように見えるかもしれない。だけど以前の松原と毎日過ごしてきた自分たちにとっては、波の威力を象徴するものもの以外の何物でもない。"あの7万本が1本しか残らなかったのか"って」。見ていて辛くなる、出来れば見たくない、と。
安田さんは、最愛の妻を津波で亡くした義父の言葉にはっとさせられたという。「自分は一体、誰のための希望をとらえようとしていたのだろう」と。(安田菜津紀「それは、誰のための希望なのだろう」https://comemo.nikkei.com/n/n965e2d350de4

その地で生きてきた被災者と、そうでない人と、それぞれ「一本松」を見る思いは違っていること。そしてどのような思いでシャッターを切るのか。そのことを考えさせる安田さんの文章でした。


1万5800人余りが亡くなり、2500人余りが今なお行方不明となっている東日本大震災から8年が経ちました。
東北の被災地では、コンクリートの防波堤が海岸を覆い、高台に住宅が建てられ、景色は大きく変わっています。少しずつ復興は進んでいます。
しかし、いまだ仮設住宅に住まざるを得ない人や災害公設住宅で孤独死する高齢者も少なくありません。
また、今なお、福島第一原発事故のため、非難を余儀なくされている帰宅困難地域があり、それが解除された地域でも故郷に戻る住民は多くはありません。そして故郷を離れて生活を再建する住民は少なくありません。

それぞれの被災者は、どこに「希望」を見出し、生きていこうとしているのか。あるいは「希望」を見出すこともなく亡くなっていったのか。

私たちは、被災者と、3.11とどう向き合い、これからを生きていくのかが、8年経ったいま、問われています。




この記事へのコメント

この記事へのトラックバック