アンネのバラの移植

三鷹市立高山小学校には「アンネ・フランクのバラ」があります。1980年に「アンネの日記」の読書指導をしていたことからバラが送られました。

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第2次世界大戦中、アンネ・フランク一家がオランダ・アムステルダムに逃れ、隠れ住んでいたときに、隠れ家の裏庭に咲いていた野バラで、アンネの心を慰めたといわれています。アンネはナチスの収容所で15歳で命を落としました。一人残った父親のオットー氏は、アンネの平和を願う心をバラに託して、世界の人々にバラを広めました。

日本では、東京・杉並区立高井戸中学校で小林桂三郎先生の指導のもと国語の授業で「アンネの日記」を読み、アンネの生涯を学んだ生徒たちの願いに応えて、1976年オットー氏から寄贈されたのが、学校にある「アンネのバラ」の最初で、いまも「平和のバラを枯らしてはならない」という多くの人々の努力で、スイスから届いた3本の苗は校庭に根づき、バラ園になっています(すぎなみ学倶楽部「アンネのバラが高井戸中学校に来るまで」https://www.suginamigaku.org/2014/02/rose01.html)。

孫娘が通学している高山小学校のアンネのバラは、1993年に仙川公園に株分けされています。しかし、高山小学校のバラは、2014年には1株となってしまい、高井戸中学校の厚意で2株、芽接ぎしたバラ12鉢、挿し木10数本を寄贈していただき、神代植物園の指導を受けて、先生方が鉢植えでバラを育ててきました高山小学校「アンネのバラ」http://www.mitaka-schools.jp/takayama-es/yousu/2014/20150319162329.html)。

現在は、1年2組と新校舎渡り廊下の間の花壇に10株が育っています。その10株のうちの5株を日当たりの良い花壇に移植する作業が11月6日の午後にあることを知り、参加をしてきました。
神代植物園の職員の方が2人、先生方や子どもたちが約20人、保護者の方が10人くらい集まりました。
私たちは新しい花壇にシャベルで穴を掘る作業を少し手伝ったくらいで、植物園の職員が手際よく植え替えをし、子どもたちは水やりと花壇の柵を立てる作業を手伝っていました。

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アンネは「私の願いは死んでからもなお生き続けること」(i日記、1944年4月5日)と書いていますが、平和を願いながら命を落とした彼女の願いは、バラに託されて今もアンネのバラを見る人々の心に生きています。
高山小学校のバラも、枯らすことなく、いつまでも咲いていってほしいと願っています。


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