池上線フリー乗車DAY 蒲田から御嶽山まで

東京の五反田駅と蒲田駅を結ぶ東急池上線が開通90周年を迎えたのに合わせ、東急電鉄は、10月9日を「池上線フリー乗車DAY」とし、一日乗車無料にする試みが行われました。

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大田区久が原に生まれ育った私にとって、池上線は最も身近な電車でした。私の実家の最寄り駅は久が原駅であり、子どものころから学生時代までは池上線を利用していたので、久しぶりに池上線を乗り、沿線めぐりをしてみようと出かけました。

池上線は、池上電気鉄道が1922年10月に蒲田-池上間で営業を開始したことに始まり、23年5月に池上-雪が谷間が開通、関東大震災後、27年8月に雪が谷-桐ヶ谷、10月には桐ヶ谷-大崎広小路間、そして28年6月に大崎広小路-五反田間が開通し、蒲田-五反田間の全線が開通しました。大田区と品川区にまたがる全長10.9キロの路線で、沿線には、目黒川の桜並木や戸越銀座商店街、池上本門寺などの有名スポットから、町工場や閑静な住宅地があります。

この「開通90周年記念イベント 10月9日 池上線フリー乗車デー」は、東急電鉄が路線の認知度調査をしたところ、東横線が75.7%、田園都市線は74%であったのに対して、池上線は54.3%にとどまったことから、池上線のブランド力を上げるため、「生活名所 池上線」と名づけ、沿線の見所を紹介する冊子を作成、縁のなかった人にも乗ってもらおうと、無料で乗り放題の日を設けるイベントをすることになったということです(『朝日新聞』2017年10月3日)。

10時に五反田駅に到着。JR山手線から池上線への乗り換え口で「1日フリー乗車券」をもらい、池上線のホームへ。すでに狭いホームは多くの人出いっぱいになっていました。
10時10分頃に五反田駅を出発、終点の蒲田駅に向かいました。

乗客の乗り降りが多く、ワンマン運転のため、電車は遅れて蒲田駅に到着。蒲田駅の構内も多くの人が並んでいて混雑していました。
蒲田駅は、子どもの頃に両親と買い物に行くのは蒲田でしたので、よく乗り降りしました。駅前の広場には大きな街頭テレビがあって大勢の人が群がってテレビを見ていた光景を思い出します。1952、3年の頃だと思います。ユザワヤはいまは大きくなって店舗も各地にありますが、当時は商店街の中にあって、主人が母の遠い親戚にあたることから、母が買い物をするときに一緒に連れられていったのを覚えています。
各種学校であった日本電子工学院の看板を京浜東北線の窓から眺めたことがあるのも覚えていますが、現在は日本工学院専門学校と名前を変え、東京工科大学も併設して、大きな学校に成長しています。

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蒲田駅から池上駅へ。池上駅も混雑していました。池上本門寺のお会式のときのように大勢の人が乗り降りしていました。
本門寺への参道も、人が絶えることなく続いていました。
駅前の浅野屋ではくず餅を買い求める列ができていて、参道の途中にある池田屋も店内はいっぱいになっていました。
本門寺のお会式のときは、小学生の頃はよく父に連れられて行った記憶があります。いまの三菱東京UFJ銀行のところに消防団の警備詰め所が設けられていて、そこで纏(まとい)を振り、団扇太鼓や鉦をなどを叩きながら、お題目を唱えて街を練り歩く万灯行列を眺めていました。父は消防団の役員をしていたので、警備のために詰めていたり、本門寺日朝堂の世話人をしていた関係もあり、連れて行ってくれたのでした。

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今年も10月12日、13日にお会式が行われますが、久しぶりに本門寺の階段を上り、お詣りをしてきました。

池上駅に戻り、久が原駅へ。
ライラック通りは昔は、久が原銀座商店街と呼ばれていました。私がまだ久が原にいたころは、商店街も活気があり、母に言われて買い物によく来ていました。夏や歳末の時期には大売り出しが行われ、くじ引きが行われていました。いまは子どもの頃にあった店が少なくなり、なじみの店もほとんどなくなってしまい、寂しい感じがします。
駅から商店街を抜けた五叉路には「柳の交番」の名前で親しまれた久が原交番がいまもあり、柳の木も健在でした。

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交番を5分ほど歩けば実家がありますが、実家には立ち寄らず、駅まで戻り、線路沿いに御嶽山駅まで歩きました。
御嶽山で昼食。 そのあと近くの御嶽神社をお詣りしました。

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