「専門職業大学」構想が問うもの

中央教育審議会が今年5月に実践的な職業教育を行う高等教育機関として「専門職業大学」(仮称)の創設を答申しました。しかし、専門学校関係者以外ではほとんど話題に上っていません。そうした中、『現代思想』第44巻第21号(2016年11月号)が児美川孝一郎さん(法政大学)のインタビュー記事と植上一希さん(福岡大学)の論考を掲載しました。

画像


児美川さんの「『専門職業大学』設置と大学改革の迷走をめぐって」は、専修学校のこれまでの歴史や位置づけをふまえつつ、専門職業大学設置構想がどのような社会的文脈の中で出されてきたのかを明らかにしています。
その中で1つは、2011年の中教審答申「今後の学校教育におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」において、高等教育段階において「職業実践的な教育に特化した枠組み」を創設するという構想が打ち出され、文部科学省は、専修学校専門課程のうち一定の要件を満たした課程を「職業実践専門課程」として認定する制度を2013年からスタートさせたにもかかわらず、2014年になって教育再生実行会議が「第5次提言」で「実践的な職業教育を行う高等教育機関」の制度化を提言し、それが今年5月の中教審答申となったという経緯を明らかにした上で、なぜ教育再生実行会議が「専門職業大学」の創設を打ち出したのかという点について、専門学校関係者の働きかけだけでなく、「もっと大きな意味での財界や保守政治家たちの焦燥感や苛立ち、そしてある意味での危機感があるのではないか」と指摘しています。具体的には、1つは、「社会問題化している若年就労問題がいっこうに改善に向か」っていないことから、既存の教育制度を「今よりもっと職業教育重視の方向に、より産業界のニーズに即応する」ものにしていくこと、もう1つは、「財界や保守政治が望むような方向への大学改革が遅々として進んでいない」ことから、専門職業大学の設立により「大学制度全体を揺り動かし、学改革を加速化させるきっかけになるのではないかと期待された」こと、をあげています。
もう1つは、専門職業大学の問題点です。既存の専門学校が専門職業大学に昇格する場合のメリットとしては、学位の問題と公費助成の問題があります。しかし、公費助成については、現在、私大への経常費補助は減らされ続けており、財務省が私学助成の枠を全体として大幅に増額しない限り、既存の私立大学にとっては死活問題になりかねないこと、また、現在の専門学校の教職員の給与等の処遇は大学よりも低く、「大学の教職員の労働条件を下方に引っ張ることに繋がりかねない」懸念を指摘しています。
そして専門職業大学の創設は、大学全体を種別化しようとする政策的な動きに連動しており、2005年の中教審答申「我が国の高等教育の将来像」で求めた大学の「機能的分化」を進め、職業分野に直結する大学群として位置づけるもので、既存の大学の再編を促すものになる可能性も高いことを指摘しています。

児美川さんの指摘は、専門職業大学がどのような政策的意図のもとに制度化が図られようとしているのかを明らかにしており、示唆に富むものとなっています。その懸念される問題点とともに、今後のどのような制度設計になるのかを見守っていく必要があると思っています。
また、児美川さんは、現在進められている高大接続改革の議論では専門職業大学のことは念頭に置かれていないことも指摘していますが、当然、専門職業大学も「大学」である以上、検討課題として議論されるべきだと思います。とともに、若者の学校から仕事への移行を考えたときに、それを支える教育の中に職業教育をきちんと位置づける必要があり、大学での職業教育、専門職業大学や専門学校での職業教育のあり方をきちんと議論していくことが求められていると思っています。

植上さんの「『大学の専門学校化』批判の問題性」は、ほとんどの大学関係者が専門学校のことをよく知らないにもかかわらず、専門職業大学や大学改革等でをめぐる議論の中で散見される、「大学が専門学校化する」としてとらえる批判的把握について、その問題点を明らかにしたものです。
植上さんは、大学側からの主な「専門学校化批判」には、(1)大学における職業教育不要論、(2)知の固定化・矮小化論、(3)選択肢の固定化・狭小化論の3つがあるとし、それぞれに批判を加えています。
専門学校は、特定の職業に対応する教育として括られがちであるが、職業非対応型、特定の職業対応型、広範な職業対応型があり、専門学校教育は多様であること、専門学校生の多くは「ノンエリート青年」として把握できること、専門学校生は、専門学校における多様な契機に促されて、個々多様な形で職業世界への接近を果たし、職業世界が埋め込まれている社会への接近も果たしていること(職業的社会化)、このような専門学校における教育・学習の意義を考えたとき、「専門学校化批判」における知・選択肢の固定化・狭小化論は一面的な把握に過ぎない、と批判します。
そして(1)の職業教育不要論については、そもそも大学においても職業教育が行われていることを指摘し、医師・弁護士・教師をはじめ大学では数多くの「専門職養成」が実施されていることから、「専門学校における職業教育と大学教育を連なるものとしてみていくことで、大学における職業的社会化の意義や方法などについてより丁寧に見る」ことの方が重要であることを説いています。(2)の職業教育における知を固定的・狭小的なものとしてとらえる知の固定化・矮小化論については、大学においても様々な形で職業教育が行われており、今後その必要性がさらに高まることを踏まえるならば、「職業的社会化と知の関係性に関する議論」をもっと真剣に議論することの必要性を説いています。(3)の特定の職業世界に対応する専門学校は青年の選択肢を固定化・狭小化させるという選択肢の固定化・狭小化論については、専門学校教育により「ある程度選択肢が絞られることで、その業界のなかでの生き方や職業、働く場所などを考えていくという具体的な選択肢が、専門学校生たちの前に現れてくる。具体的な選択肢と自己を照らし合わせて、専門学校生は選択を積み重ねていくのであり、また専門学校はそのための支援を実施している」とし、これに対して少なくないノンエリート層の大学生にとっては、「一見無数の選択肢は広がってはいるものの、選択先の社会を具体的に把握する・認識することが難しく、また、そうした社会との関係での自己を認識することも難しければ、選択するための材料すら得ることができない」実態があり、「ある種厳しい環境」となっているとし、選択肢の狭さを批判的にとらえ、選択肢が広いことを安易に肯定するよりは、教育機関が対象とする個々の青年たちがよりよい選択するようにし、それを支援することのほうが重要であることを説いています。
植上さんは、大学も教育機関として、ノンエリート層の青年たちの変化への対応をしなければならないという問題意識あり、専門職業大学や「専門学校化」も含め高等教育政策の「問題性」に対峙しようとするならば、それらの政策や教育実践についての丁寧な検討が不可欠であることを説いています。

児美川さんにも植上さんにも共通しているのは、社会や若者の変化の中で、専門学校、専門職業大学、そして既存の大学を連ねた職業教育のあり方についてきちんと議論することの必要性です。それは、児美川さんが指摘しているように、普通教育中心の高校教育、アカデミック志向中心の大学教育をどう構造改革していくのかという課題にもつながっています。とくに文学部や経済学部などの文系学部などは、その学術研究機関としての建前から来るアカデミックな教育と、現実の就職先で求められる職業能力のギャップをどう埋めていくのか、という簡単には解決できない問題に直面しています(濱口桂一郎)。若者たちが社会に出て働き生きていく力を獲得するためには職業教育・専門教育が必要であり、それをどこで保障していくのか、が問われています。
そうしたとき専門職業大学の構想を、大学側のみならず高校側もきちんと受け止め、高等教育のあり方を考える必要があります。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック