戦後70年-敗戦記念日に

日本は、1931年からの「満州」事変、37年からの日中戦争、そして41年からのアジア・太平洋戦争と足かけ15年間にわたる侵略戦争を続けてきました。そして1945年8月14日、日本政府は、ポツダム宣言を受諾し、翌15日、昭和天皇は「玉音放送」で日本が降伏したことを国民に知らせました。あれから70年が経ちました。

安倍晋三首相は8月14日、臨時閣議で戦後70年の談話(安倍談話)を閣議決定、閣議後、安倍首相は首相官邸で記者会見し、談話を発表しました。

画像
http://mainichi.jp/feature/news/20150814mog00m010009000c.html

安倍談話は、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話を念頭に、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」と言及し、そのうえで「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであ」るとして、安倍内閣として過去の談話を引き継ぐ考えを示しました。

しかし、安倍首相自身が自らの言葉として「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明したわけではなく、「侵略」や「植民地支配」という言葉も、「国際紛争を解決する手段としては、二度と用いられてはならない」「すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」という文脈の中で使われているに過ぎず、日本が中国や東南アジア諸国に侵略し、「計り知れない損害と苦痛」を与えたこと、台湾や朝鮮を植民地にし、そこで過酷な植民地支配を行ったことには何ら触れておらず、安倍首相自身が本当に「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を抱いているのかは疑問といわざるをえません。

また、日本が大陸に植民地を獲得し、民族運動を抑圧する体制を確立するところにその本質があった日露戦争を、「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」とのべていることは、歴史の歪曲にほかなりません。

全体として安倍談話は、戦後50年にあたって「村山談話」が表明した立場を、事実上、放棄するに等しいものであり、国内外のきびしい批判を招くことは避けられないと思われます。

また、談話では、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、述べています。「いつまで日本は謝罪をしなくてはいけないのか」というのが安倍首相の本音で、談話でどうしても入れたかった文言だと思われますが、侵略戦争を行い数多くの生命を奪った加害者である日本が言うことではありません。

談話には、「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」とあります。
安倍首相が本当に「過去の歴史に真正面から向き合」い、「未来へと引き渡す責任がある」と考えているのならば、日本国憲法を「改悪」しようとしたり、「積極的平和主義」をうたい、解釈改憲により集団的自衛権の行使容認を行い、安保関連法案=戦争法案を国会に提出し、「戦争のできる国」にしようとするような政策はとらないはずです。欺瞞と言うほかはありません。

戦後70年の節目の今年、いま日本の政治は、戦争か平和かの歴史的岐路に立っています。私たちは、戦争の惨禍と反省のうえに日本国民が得た日本国憲法の平和主義の精神、憲法9条を守り抜き、平和な日本を築くために、思想・信条の違い、政治的立場の違いを超えて、平和を願うすべての人々と力をあわせ、「戦争のできる国」にしないように、戦争法案の廃案に向けて取り組むことが求められています。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック