「政府見解尊重」検定

文部科学省は4月6日、来春から中学生が使う教科書の検定結果を公表しました。特に社会科教科書では、領土問題や歴史認識で政府の立場を押しつけようとする安倍政権の意向に従った内容になったことが知られます。

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『東京新聞』2015年4月7日付朝刊

安倍政権は昨年1月に、学習指導要領の次回改定を待たずに、検定基準と学習指導要領解説書を改定しました。検定基準の改定では、社会科(高校は地理歴史科と公民科)について、①近現代史で通説がない事項はそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はしない、②政府見解や確定判例がある事項はそれに基づく記述をする、③未確定の時事的事項は特定の事柄を強調しすぎない、の3点を加え、新検定基準とは別に「審査要項」の「改定」で、全教科について、「教育基本法や学習指導要領の目標などに照らして重大な欠陥があれば検定不合格とする」を追加しました。
検定基準の改定は、教科書の内容の統制を強化し、事実上の「国定教科書」づくりをめざすもので、歴史の事実を教科書から消し去り、歴史をわい曲する内容を教科書に書かせ、政府に批判的な内容は教科書から排除することをめざすものでした。

この改定された新たな検定基準にもとづく検定では、近現代史の記述で、検定意見が6件ありました。4件は従軍慰安婦と戦後処理、東京裁判の記述で「政府の統一的な見解に基づいた記述がなされていない」と指摘、2件は関東大震災の際に殺害された朝鮮人の一について「通説的な見解がないことが明示されていない」としたものでした(『東京新聞』2015年4月7日付朝刊)。

「慰安婦」問題

歴史教科書で初めて検定に合格した学び舎の教科書では、慰安婦に関する旧日本軍の関与を認めた河野談話を掲載、2004年検定で中学校の全教科書から姿を消した「慰安婦」の文言を使用しましたが、「現在、日本政府は『慰安婦』問題について『軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない』との見解を表明している」という記述が書き加えられました。

日本軍「慰安婦」制度が女性の人権を侵害するもので、1993年の「河野談話」が、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と認めている通り、国際的にも「軍性奴隷制」としてきびしく批判されているところに最大の問題があります。安倍政権をはじめとする「河野談話」見直し派は、この事実に対しては、口を閉ざし、軍や官憲による「慰安婦」強制を、暴力的に連行したことを示す日本側の公文書の存在が確認されていないことを理由に、「慰安婦」問題自体を否定しようとしています。しかし、「河野談話」が発表された時点でも、すでに強制的に「慰安婦」にされたことを示す外国側の公文書は存在していました。少なくとも、つぎの二つの公文書は、日本政府は間違いなく知っていたはずです。一つは、日本の占領下に置かれたオランダ領東インド(現インドネシア)のスマランで軍が「慰安所」を開設し、抑留所に収容していたオランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」にしたという「スマラン事件」にかかわる公文書です。
もう一つは、極東国際軍事裁判所(東京裁判)の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行の事例です。
また、1991年提訴の「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」以降、2001年の「海南島戦時性暴力被害賠償請求訴訟」まで、各国の元「慰安婦」が、日本政府を被告として謝罪と賠償を求めた裁判は10件にのぼります。そのうち8件の判決では、「河野談話」が認めた、「慰安所」への旧日本軍の関与、「慰安婦」とされる過程における強制性、「慰安所」における強制使役などを、全面的に裏付ける事実認定をおこなっています。加害国である日本の裁判所が、厳格な証拠調べをおこなった結果認定している事実は、きわめて重い意味を持っています。
今回の教科書検定で、「現在、日本政府は『慰安婦』問題について『軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない』との見解を表明している」と書き換えさせた根拠は、第1次安倍政権が閣議決定した2007年3月16日の政府答弁書(辻元清美衆議院議員の質問主意書にたいする答弁書)です。この政府答弁書には、「同日(『河野談話』を発表した1993年8月4日)の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と、書かれています。しかし、この政府答弁書は、先に指摘したように、事実と違います。政府が歴史を偽造し、それを根拠に教科書記述を書き換えさせることは許されないと言わざるを得ません。

関東大震災と朝鮮人虐殺

関東大震災の発生後、混乱の中で虐殺された朝鮮人の人数を「数千人」と書いた2点の教科書の記述には、「通説的な見解がないことが明示されておらず、生徒が誤解するおそれのある表現だ」という意見がつきました。
これを受けて学び舎は、当時の政府など複数の調査結果や「虐殺された人数は定まっていない」という記述を加えたうえで、「おびただしい数の朝鮮人が虐殺された」と修正しました。清水書院は「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名余りと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるとも言われるが、人数については通説はない」と修正しました。

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NHK news watch 9(http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/index.cgi?date=150406_1)

関東大震災のさなかに虐殺された朝鮮人の人数については、文科省の検定意見は「通説的な見解がない」としていますが、姜徳相『関東大震災』(中公新書、1975年)は「6000余人」、山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺』(創史社、2003年)は「数千人に達したことは疑いない」としています。そして、日本史の通史でも、これらの研究者の文献を引用し、たとえば、鹿野政直『大正デモクラシー』(日本の歴史第27巻、小学館、1976年)は姜徳相『関東大震災』を引用して、虐殺数を「約6000余人」としています。私も、関東大震災について記述した中で、「虐殺され犠牲となった朝鮮人の数について、内務省警保局は朝鮮人231名、中国人3名、日本人59名としているが、約6000名(姜徳相『関東大震災』)ないし、6600名(山田昭次「関東大震災と朝鮮人虐殺」〈旗田巍編『朝鮮の近代史と日本』〉)と推計されている。」(「関東大震災後の社会情勢」金原左門編『大正デモクラシー』近代日本の軌跡4、吉川弘文館、1994年)と書きました。
できる限り犠牲者数を少なく見せようとした戦前の内務省警保局の数字を根拠に「通説的見解はない」とし、関東大震災に関する研究成果をもとにした通説的見解を否定し、教科書を書き換えさせる検定意見は、これも歴史を偽造するものと言わなければなりません。


今回の教科書検定では、全教科書に竹島・尖閣諸島のを取り上げ、大半の教科書が「日本固有の領土」と記述していることが、大きな特徴でした。
領土問題については、教育は、竹島や尖閣諸島の帰属問題が韓国や中国と問題になっていること、その歴史的経緯を明らかにして、子どもたちに考えさせることにあります。韓国や中国の主張も対立の歴史的経緯もほとんど記述がなく、竹島は「韓国が不法に占拠している」、尖閣諸島は「領有権の問題は存在していない」などと、日本の立場だけを記述させるだけでは、住友陽文さんが指摘するように、「政府のプロパガンダの一翼を担う」ものになりかねません(https//twitter.com/akisumitomo/status/586206420669898755)。

文科省による社会科教科書の検定のあり方については、歴史学関係の研究団体も、きちんと批判するとともに、現場の先生方には、教科書を批判的に活用し、子どもたちの未来のために社会科教育を行っていってほしいと思っています。

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