伊東散策

温泉に浸かって体を休めようと1月11日、妻と伊東温泉に行ってきました。

吉祥寺駅に着くと、三鷹駅構内での人身事故の影響で中央線はストップ。東京駅からの特急には間に合いそうになかったので、井の頭線で渋谷駅に出て、品川駅で特急に乗ることができました。品川駅に着いたのは5分前でした。

伊東駅前で昼食をとったあと、伊東市内をぶらり散策しました。
湯の花通りには、ところどころのお店の脇に毘沙門天や弁財天、大黒天などの像がありました。お湯かけ七福神で、スタンプを7つ押すと七福神ステッカーがもらえるとチラシにはありました。

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市川製茶というお店で焼きもっちりという餅生地に緑茶餡を包んだ和菓子とぐり茶をいただきました。

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市川製茶

猪戸通りに出て、木下杢太郎記念館へ。杢太郎の名は、山本鼎を調べていたときに、一緒に「パンの会」をつくったことで知っていました。詩人としての杢太郎は知っていましたが、皮膚科の医学者としての活躍など、その生涯をさまざま資料とともに知ることができました。

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木下杢太郎記念館

オレンジビーチとよばれる海岸に出ました。木下杢太郎の詩碑があり、海の向こうには初島、真鶴半島が眺められました。

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木下杢太郎「海の入日詩碑」

なぎさ公園にはさまざまな彫刻作品が置かれていて、家族連れやカップルが写真を撮ったり、遊んだりしていました。

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なぎさ公園

松川河口のなぎさ橋の際にウイリアム・アダムス(三浦按針)の事蹟を記念した「按針メモリアルパーク」があり、松川遊歩道には記念碑が建てられていました。
ウイリアム・アダムスの名は日本史教科書にも出てきます。1600年、イギリス人航海士・水先案内人のウイリアム・アダムスやオランダ人航海士ヤン・ヨーステンを乗せたリーフデ号が豊後沖に漂着、徳川家康の保護を受け、幕府の外交顧問となります。のちに相模国逸見、すなわち三浦半島に領地を与えられ、三浦按針の名乗りを与えられた(按針の名は、彼の職業である水先案内人の意)。
伊東との関わりは、アダムスが家康の命で伊東に造船ドックを設けて1604年、80トンの帆船を建造し、07年には120トンの大型船を完成させたことにあります。

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石畳の松川遊歩道を歩き、大川橋から東海館へ。松川河畔にある木造3階建ての温泉旅館。1928年から97年まで70年近く営業していました。大正末期から昭和初期の伊東の温泉情緒を今に伝える建物で、現在は保存改修工事が行われ、伊東温泉の観光・文化施設として公開されています。3階の上の望楼が特徴的な建物です。

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東海館

東海館からは杢太郎が通ったという伊東小学校(現・伊東西小学校)前を通り、宿泊する星野リゾート界伊東まで歩きました。約2時間の散策でした。

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