五十里湖畔散策

11月17日は帰りの電車の時刻まで、紅葉を眺めながら五十里湖畔を散策しました。

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道の駅湯西川から赤夕大橋を渡り、トンネルを抜け、海渡大橋へ。ここで会津若松方面へ行く国道121号線と分かれ、湖畔沿いの道を歩いて行きました。

途中、蕎麦屋がありましたが、そこでは休憩せずに歩いていくと、「郷倉」の説明看板がありました。松平定信の寛政の改革のときに飢饉に備えて穀物を貯蔵した村の共同倉庫でした。茅葺き屋根がトタン板に変わっただけで、倉自体はほぼ当時のまま残されているということです。

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郷倉

長念寺。湖底に沈んだ五十里村にあった寺を移設。枯れ葉の坂道を上っていくと小さな堂が建っていました。ここには裳原仏所の法橋慶円が1343(康永2)年に制作したといわれる木造阿弥陀如来像が安置されているそうです。

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長念寺
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再び湖畔沿いの道を進み、食堂・湖畔亭が見えてきた左側に示現神社の説明板がありました。元は五十里宿にあり、村の鎮守として古くから祀られてきた神社だそうです。神社へ向かいましたが、矢印などの案内板がなく、少し迷いましたが、山道をしばらく登っていくと木造の鳥居が見え、さらに登って石段を登ると社殿がありました。ちょっとした山登りになってしまいましたが、祭りのときは大変だろうと思いながら神社をあとにしました。

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示現神社

湖畔亭の先、左側には公園があり、公衆トイレも整備されていました。
ここには、「掘割」と「伝高木六左衛門の墓」の説明板がありました。1683(天和3)年の日光大地震により湯老山の一帯が崩壊して男鹿川をせき止め、湖ができたため、会津西街道の交通は遮断されてしまいました。そこで会津藩は、藩士の高木六左衛門に掘割の工事を命じ、湖水の水抜きを図りましたが、工事は難航し、完成できませんでした。その責任を取って、六左衛門はこの場所で割腹したと伝えられています。
この付近には水路工事のために掘った「掘割」の跡があるということです。

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伝高木六左衛門の墓

海尻橋を渡り五十里バイパスに出ます。自動車の往来が多い道を湯の郷トンネル方面へ湖水を眺めながら歩きます。トンネルには入らず、トンネル入口脇のところから旧道ルートに入り、少し遠回りをして歩きました。ほとんど人も歩かなくなっており、コンクリートの道路の上には枯れ葉や土が積もっていました。誰も通らない道を五十里湖の紅葉を眺めながら歩くのもいいものでした。

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湯の郷トンネルの出口と赤夕大橋への道路と出合い、道の駅湯西川へ戻りました。2時間の散策でした。
道の駅は大勢の人で賑わっていました。

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道の駅湯西川の足湯

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