世界遺産「富士山」

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は6月22日、カンボジアのプノンペンで開催中の世界遺産委員会で、日本政府が推薦している「富士山」を世界文化遺産に登録することを決めた、とマスメディアは一斉に報じました。
今年4月の国際記念物遺跡会議(イコモス)勧告では構成遺産から除外するように求められていた三保の松原も含まれています。これで日本の世界遺産は17件(文化遺産13件、自然遺産4件)となりました。

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『毎日新聞』2013年6月22日付号外

富士山は、古くから信仰の対象、芸術の源泉として世界から認められたことになります。独立峰の富士山だけでなく、その周辺に点在する神社や湧水、登山道、信仰遺産群などと合わせて文化遺産として認められたわけで、その意味するところをしっかり認識する必要があると思っています。

地球規模でいえば標高3776メートルの富士山は、際だった高さではありませんが、その美しい姿は、山部赤人の短歌にも詠まれ、葛飾北斎の浮世絵に描かれてきました。富士山は多くの文人、芸術家をとりこにしてきました。

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三鷹のマンションからの富士山(6月22日)

また、日本人の心のありよう、なかでも信仰の対象として、富士山は深くかかわってきました。

富士信仰が爆発的に庶民に広がったのは江戸中期の「富士講」からでした。
富士講を広めたのは、修行者・食行身禄(じきぎょうみろく)です。身禄は、呪術による加持祈祷を否定して、正直と慈悲をもって勤労に励むことを信仰の原点とし、女性蔑視や抑圧の政治に対して厳しく反対し、男女は「同じ人間なり」と説き、勤勉に働けば身分も生活も向上し、来世においても身分の境遇ができるとし、身分と貧困に苦しむ庶民に明日と来世を説いて生きがいを持つように教えたのでした。
富士講は、みなで集まり、費用を積み立てて富士に登れば、たとえ貧しい農民や町民であっても救われる、という信仰でした。
近世において霊山は女人禁制でした。富士山もその例外ではありませんでしたが、1731(享保16)年、身禄は女人解禁の高札を立てています。そして庶民の信仰登山はひろがっていきました。

しかし、実際の富士山に登ることは容易ではなかったため、富士山のミニチュアをつくって、そこに登ることで富士登山を疑似体験したり、富士登山の道中の安全を祈願してつくられたのが、富士塚です。東京には、いまでも数多くの富士塚が残されています。渋谷区千駄ヶ谷の鳩森神社境内にある富士塚は東京都内で現存するものでは最も古いといわれています。三鷹の近くでは、武蔵野市の武蔵境駅に近い杵築大社の境内に富士山があります。杵築大社の富士山は、1881(明治14)年につくられたもので、多摩地区では清瀬の富士山神社に次ぐ大きさのものといわれ、この地域の講中が富士登山や七富士参りをするさい、先達や講員がこの山に道中の安全を祈願したと伝えられています。
こうしたところにも庶民と富士山とのつながりを見ることができます。

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杵築大社の富士山

いまは本来の信仰登山は減り、夏になると数珠つなぎの観光登山に様変わりしています。年間30万人を超える富士登山者は、世界遺産登録を機に今後さらに増えることが予想されています。膨大なゴミ、あれる登山道、公示による景観の変化などが課題となっており、これらをどう抑え、文化遺産と整合させていくのかも問われています(『東京新聞』2013年6月22日付朝刊、社説「世界遺産登録 富士に学ぶ日本の文化」)。

イコモスは、4月の世界文化遺産の登録勧告の中で、「登拝と巡礼を通じ、巡礼者はそこに住む神仏の霊能が身に吹き込まれることを願った。無数の芸術作品を生んだ富士山への憧れや、恵みへの感謝、自然環境との共生を重視する伝統と結びついた」と指摘しています。そのうえで登山道や神社など一連の構成資産について「生きた文化的伝統の類いまれな証拠だ」と評価しています。
このイコモスの指摘しているところを、私たち自身がかみしめる必要があると思います。

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