主権回復式典

政府は、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効してから61年目にあたる4月28日の午前、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を東京の憲政記念館で開催しました。

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東京新聞 http://www.tokyo-np.jp/s/article/2013042801001356.html/より

毎日新聞のウェブニュースによれば、安倍晋三首相は式辞で「本日を大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来に向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と式典の意義を強調。そのうえで、条約発効後も奄美群島、小笠原諸島、沖縄が一時、米国の施政下に置かれたことをふまえ、「沖縄が経てきた辛苦に深い思いを寄せる努力をすべきだ」と訴えた、と報道しています。

これに対し沖縄では、政府主催の式典に抗議する「4.28政府式典に抗議する「屈辱の日」沖縄大会」(主催・同実行委員会)を宜野湾市の宜野湾海浜公園で開いています。主催者側発表で1万人超が集まり、「政府式典は県民の心を踏みにじり、再び沖縄切り捨てを行うもの」だとする決議を採択しました。

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「琉球新報」号外

1952年4月28日は、全面講和を求める多くの国民の反対を押し切って締結(51年9月8日に調印)されたサンフランシスコ講和条約が発効した日であると同時に、日米安全保障条約も発効した日です。つまり日本は形式的には独立国となったものの、実質的にはアメリカに従属する地位に縛り付けられ、沖縄はその後もアメリカの施政権下に置かれ、銃剣とブルドーザーで米軍基地拡張のために土地を奪われていくことになりました。
沖縄県民の中でこの日を「屈辱の日」として記憶されていることは当然のことといえます。

しかも今日なお、沖縄をはじめ国民を苦しめている米軍基地の重圧も、憲法第9条に反する米軍と自衛隊の地球規模での軍事的共同も、そのもとをたどると1952年4月28日に発効した日米安保条約に行き着きます。
安倍首相が本当に「沖縄が経てきた辛苦に深い思いを寄せる」のであれば、普天間基地の辺野古への移設という沖縄県民に米軍基地を押しつけるのではなく、普天間基地の即時全面返還をアメリカに要求すべきです。本当の意味での主権回復とは、アメリカの言いなりにならず、そういう努力をしていくことだと考えます。

安倍首相が「主権回復式典」を開催したのは、サンフランシスコ講和条約以降に「日本の主権が回復した」とし、それ以前は占領下にあり、その占領下につくられた日本国憲法などは「占領軍によって押しつけられた戦後レジーム」であり、憲法を「改正」し根本的に見直しをしなければならないという立場が根底にあるからです。
安倍首相は、なぜ沖縄県民が怒っているのかについて想像力が及ばないだけでなく、天皇を悩ませる結果になったことについても理解できていないようです。「国民統合の象徴」である天皇が、沖縄県民の多数が反対している式典に出席すること自体が問題ですが、何等かの政治力学が働いて天皇の「お言葉」はありませんでした。しか、少なくとも天皇を政治利用した内閣として大きな問題を残したことは事実です。

いずれにせよ、対米従属と屈辱の日がなぜ「未来に向かって希望と決意を新たにする日」となるのか、理解に苦しむ式典です。

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