『学問の街、神田』を読む

過日、専門学校新聞の西島芳男さんとお目にかかった折、神田外語学院の副院長・理事を務められた佐藤武揚さんが、専門学校と大学の発展を支えた半生をまとめられた『学問の街、神田-外国語教育にかけた歩み-』(文芸社、2013年)を出版されたと、本を見せられました。
本をお借りし、早速、読ませていただきました。

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前半は「神田随想」。神田外語学院のある神田周辺にまつわる歴史と現在が描かれています。南こうせつとかぐや姫の「神田川」の歌に始まり、坂本龍馬や樋口一葉の話、清水の次郎長が明治になってから英語塾を開いた話なとが綴られています。

後半は「言葉はつなぐ-英語教育にかけた私の半生」。大分県の小さな農村に生まれ、戦後、新制中学校から高校、東京の大学へ。大学卒業後、製薬会社の薬局周りの営業マンになり、社会人生活をスタート。1968年に当時は各種学校であった神田外語学院に転職し、東日本大震災の起きた2011年に学院を退くまでの半生が綴られています。
神田外語学院では、1970年に新校舎を建築、英語教育を中心にした職業教育を展開するための新学科の設置に尽力し、その後、大学設立構想が策定されると、アメリカに留学するとともに開学の準備に取り組み、1987年に神田外語大学の開学にこぎ着けます。そして、学内での仕事だけでなく、東専各(東京都専修学校各種学校協会)をはじめ、全国語学ビジネス学校協会、全国日本語教育機関振興協議会、日本語教育振興協会、留学生教育学会の立ち上げや役員として活躍されました。
佐藤さんは、38年間、神田外語学院の仕事を通して、英語教育を中心とした職業教育の発展に尽くされましたが、その歩みと思いが淡々と綴られています。

私が神田外語学院を知ったのは、1975年12月のことです。76年に専修学校制度が発足することになり、専門学校について知るために、ある学校広報関連の業者が主催する高校の先生方を対象にした学校見学ツアーに参加をしました。その見学先に神田外語学院がはいっており、見学をしたのが最初です。
佐藤さんとは、専進研(専門学校進学指導研究会)の夏期研修で知り合いになり、その後、個別の学校情報を「専門学校概要」を策定するために東専各と都高進(東京都高等学校進路指導協議会)とで協議を重ねた際に顔を合わせましたが、専門学校部会の代表が佐藤さんでした。この「専門学校概要」の統一様式の策定、情報公開の範囲や記載内容をめぐって議論を交わしましたが、何とか1996年に「専門学校概要」として刊行することができました。また、専門学校の付帯教育について論文を書いたときに、佐藤さんの論考を参考にしたこともあります(「専修学校における生涯学習の現状と課題」日本社会教育学会編『生涯学習体系化と社会教育』東洋館出版社、1992年)。
私が高校を退職するときには、西島さんと一緒に慰労の会を開いてくださいました。これもよい思い出になっています。

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