別所温泉を歩く

自由大学運動90周年記念集会が終わったあと、別所温泉に泊まりました。
別所温泉には何度も来ていますが、ほとんどが夏休みの時期でした。緑色の木々の山に囲まれた風景で、紅葉の季節に訪れたのは2回目になります。30年前に自由大学運動60周年記念集会をこの別所温泉の柏屋別荘と上田市公民館で開催したときは10月31日と11月1日でしたから、今回と同じ時期でしたが、集会開催の責任者でしたので、ゆっくり紅葉を眺めることもできませんでした。
11月6日、旅館をチェックアウトしたあと、荷物を旅館に預けて、別所温泉を散策しました。

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柏屋別荘

最初に向かったのが北向観音。お堂に向かってまっすぐに参道が通っていて、参道の両側には土産物屋や飲食店が並んでいます。
北向観音堂は825(天長2)年に慈覚大師によって開かれ、本尊は千手観音菩薩で、厄除けの観音様として親しまれています。「北向」の名は長野の善光寺が南向きと向き合っていることところから名づけられたといわれています。

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北向観音堂

お堂の右側には、桂の大木があり、北向観音の霊木とされ、縁結びの霊木としても親しまれています。川口松太郎の名作「愛染桂」は、この木からヒントを得たともいわれています。
観音堂の右手の崖の上にある建物は薬師堂で「医王尊瑠璃殿」とよばれ、その崖下には北原白秋や松尾芭蕉などの歌碑や句碑がいくつか建てられていました。

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医王尊瑠璃殿

北向観音をあとに安楽寺へ。安楽寺に向かう道には紅葉したモミジの木がありました。

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安楽寺は国宝の八角三重塔で知られていますが、創建は天長年間(824~834年)といわれる古刹で、鎌倉時代には鎌倉の建長寺と同じような地位を与えられていた格式の高い寺院であったといわれています。信州最古の禅寺(現在は曹洞宗)の面影を残しています。
八角三重塔は、本堂の裏を登った山腹にあり、木々の緑と紅葉のなかに重厚なたたずまいの塔がそびえていました。建立年代は鎌倉末期といわれ、建築様式は禅宗様で、初層に裳階をつけた珍しい形式で、一見すると四重塔に見えます。
塔を仰ぎ見ながら塔をほぼ一周するようなかたちでしばらく塔に見入っていました。

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八角三重塔

安楽寺のあと向かったのは常楽寺へ。安楽寺から常楽寺に向かう道からはところどころ霧に包まれた山々に囲まれた塩田平が一望できました。

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常楽寺は、天台宗の古刹で、天長年間に慈覚大師によって開かれたといわれています。北向観音の本坊で、現在は天台宗の別格本山になっています。鎌倉時代に塩田平は「信州の学海」とよばれていましたが、この常楽寺も、天文教学の道場となっていました。
階段を上がると、本堂の前の庭には大きな船のかたちをした樹齢300年という赤松があり、その緑の松と茅葺きの本堂とが落ち着いた空間をつくりだしています。

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常楽寺本堂

おまいりをしたあと、国の重要文化財である石造多宝塔を見学しました。本堂の裏手の道を上っていくと、木立のなかに苔むした多宝塔があり、多宝塔を囲むようにたくさんの小さな五輪塔などの石塔が並んでいました。

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石造多宝塔

常楽寺は、1920年代には、この地域の青年たちの学習の場にもなっていました。かつて私は、「教育県長野-上田自由大学とその周辺-」(金原左門編『地方デモクラシーと戦争』文一総合出版、1978年)で、次のように紹介したことがあります。

上田市外別所温泉の常楽寺は、ふかい木立を背負って、塩田平をのぞむ地にある。この天台宗の古刹は、今日でこそ静寂に静まりかえっているが、1920年代には、この地域の青年男女のつどう場所となっていた。
ここの本堂は、この地域の青年団の講習会や夏季婦人大学の会場として使われた。ことに頻繁に本堂を使ったのは、小県郡連合青年団の青年たちであった。青年団と言えば、日露戦争を契機として国家による統制がつよめられ、国家主義化していった組織である。小県郡の連合青年団も発足当初は官製的な体質をもっていたが、デモクラシーの気運のもとで、青年たちは自主化のうごきをおこし、あたらしい思想の摂取に意欲を示すようになっていった。そうした青年たちが講師をよんで話しをきき、意見をたたかわせる場として選ばれたのが、常楽寺であった。東大の心理学科をでたばかりの若い住職半田孝海は、これに全面的に協力し、本堂を会場に提供した。この青年団の幹部講習会には、1922(大正11)年以降、蠟山政道・河合栄治郎・平野義太郎、さらに常楽寺のはなれに住んでいたタカクラ・テルらが、あいついで講師として招かれた。常楽寺での3泊4日の講習会は、青年団官製化のなかで失われていった若衆組の復活を思わせて、青年たちにとってはたのしい経験であったという(鹿野政直「絹の道と青春」朝日新聞社編『思想史を歩く 下』)。ここはまた信州夏季婦人大学の会場となり、有馬頼寧や市川房枝などが講師としてやってきた。こうしてかつての学問寺は、青年男女の学習の場となった。

20数年前に、このような文章を書いたことがあることを思い出しながら、常楽寺をあとにしました。



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