『教育論議の作法』を読む

いま学校は、学校評価や教員評価が導入され、評価や競争が学校に持ち込まれことによって、同僚性や協働性のような、教員相互の関係をつくってきた組織文化が、破壊されつつあります。

広田照幸さん(日本大学)の『教育論議の作法』(2011年、時事通信社)は、「迷走する教育改革」の中で、そのことを取りあげています。

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教員の仕事の重要な部分は、教職員集団のチーム労働や、メンバー相互の協力によって支えられています。
日常の学校運営は、多種多様な仕事が組み合わさって成立しています。ホームルーム担任、学年主任、教務担当、生徒指導担当、進路指導担当など、分業が徹底した組織の印象を与えていますが、あくまで協力を基盤とした分業なのです。適切な協力をともなった分業によって、教員間でフォローし合って、学校運営を支えているのです。
もう1つは、教職員が集団的に統一的な方針や基準で指導にあたるという「指導方針の一貫性」の側面があります。進路指導や生徒指導の方針が各教員の間でばらばらであったら、生徒や保護者の信頼を失ってしまいます。
また教員のスキルの向上という点でも、教職員集団が重要な意味を持っています。教員は先輩や同僚からアドバイスを受けながら自己改善をはかり、一人前の教師になっていきます。

しかし、競争と評価の原理による教育改革は、このような集団的な教員文化を弱める方向に作用している、と広田さんは言います。評価や競争で教員の「やる気」を刺激しようとする策は、結果的に、学校を殺伐とした組織にしてしまいます。個々の教員は疲れ切り、数値目標の達成に追われ、目の前の子どもとの充実した関係などは置き去りにされてしまいかねない状況になります。同僚との関係は、協働的なものではなく、相互の不干渉化が進んでいくことになります。あるクラス担任が問題を抱えても、周囲から十分なサポートを受けることが出来ず、事態が深刻化の一途をたどる、などということが想像されます。分業と協力も成り立たなくなり、各自の指導方針をすりあわせて足並みをそろえる、といったことも、困難になり、あらかじめ規則や申し合わせで細かく文書化しておかないと徹底しない、といった事態も考えられます。また、若手教員は、これまでのような、職場でのコミュニケーションを通じた、おおらかなスキル形成の経験が出来なくなっていくかもしれない、と。

教員に対する業績評価の一環として、都立高校で行われている管理職による授業観察について、元校長の渡部謙一さんは、「高校の場合は教科の専門性が高いので全教科の指導要領に精通している校長などはまずいない。したがって、校長の経営方針に沿っているかどうかが最も客観的な根拠となる。それはまた、校長の言うとおりにやっているかどうかということであり、言われたことだけをやっていればいいんだという意欲の喪失と諦めをつくっていく。私はそれこそが教育の退廃化だと言ってきた。事実、誰に聞いても学校を支配しているのは無気力と諦めの増加だという」と述べています(『東京の「教育改革」は何をもたらしたか』高文研、2011年)。そして、授業の監視・管理が推進される中で、ある高校で、生徒が授業中、「*年*組の**先生の授業中だけれど、授業がひどすぎる。何とかしてほしい」と携帯電話で教育委員会に電話をしてきたため、突然、教育委員会から校長室に電話があったという、ある校長の話を紹介しています。
授業観察というものが、校長が教員の授業を監視し、評価するものであることを、生徒はよく知っていたということです。それゆえ授業観察は校長のみならず生徒や保護者からも監視されるものとなっていきます。教師と生徒、生徒と生徒同士が学び合う「学びの創造」を破壊していく。学びに最も必要な自由な教室空間を壊していく。渡部さんは、都立高校の現状をそのように憂いています。

私立高校でも、多摩地区にある日体桜華高校の小林節校長は、「私は日常、校内を巡回して、突然、教室に入っていきます。そして、私よりも若いスタッフに『もっとこうしたほうがいいよ』とか、『それじゃわかりにくいよ』とか、授業中でも遠慮せずにアドバイスします。これは、子どもや親が喜んでくれました。教師には恐怖の校長ですが、生徒たちは親しみをもって『せっちゃん』と呼ぶようにもなりました」と新聞の取材に答えています(『西多摩新聞』2011年8月12日号)が、校長の監視・管理によって、自分たちの目の前で教師が叱責されているのをいたたまれない気持ちで見ている生徒がいることには思いが至っていないようです。そして、教室が教師と生徒、生徒相互の学び合う場でなくなったとき、生徒も、教員の教え方や生徒指導に不満を持てば直接、校長に言いに行くという状況を生んでいくことになります。

渡部さんは、「教師が育つのは管理職によってなどではない。何よりも同じ職場の仲間の実践を基にした学び合いからである」と述べていますが、教師が育つために必要なことは何かを端的に語っているように思います。

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