震災天罰論

石原慎太郎東京都知事が14日、東日本大震災に関し、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べたということです(『朝日新聞』3月15日付朝刊)。
その後、村井嘉浩宮城県知事が「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、おもんぱかった発言をして頂きたい」と不快感を示すなど、批判が高まったことから、石原都知事は15日、「言葉が足りなかった。撤回し、深くお詫びする」と述べて、謝罪したということです(『朝日新聞』3月15日付夕刊)。

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大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市の市街地(『朝日新聞』3月14日付朝刊より)

死者・不明者合わせて1万人を超えるだろうといわれる大きな被害をもたらした今回の東日本大震災。
想像を絶する大津波に飲み込まれ、犠牲になった人たち。目の前で家族を救うことも出来ず、それでも生き残り救助されたり、かろうじて高台に逃げて難を逃れた人たち。
そんな被災者は天罰を受けたからだというのが、石原都知事です。謝罪したからといって許すことが出来ない発言です。

88年前の1923年に起きた関東大震災のときにも「震災天罰論」が唱えられ、これを機に国民の思想統制をはかろうする動きが強まり、その後の暗い時代の幕開けになりました。
私は、「関東大震災後の社会情勢」(金原左門編『大正デモクラシー』吉川弘文館、1994年)で、次のように書いたことがあります。

震災天罰論
関東大震災は浮かれすぎている国民に対する天罰であるとする「天譴論」が唱えられ、社会不安のなかで多くの人びとの心理の底に共感をよびおこしていた。財界の大御所渋沢栄一や実業之日本社長増田義一らが唱えたもので、たとえば増田義一は、享楽主義に傾き危険思想がはびころうとしている今日、関東大震災は「天がわが国民に向かって譴責し、かつ一大警鐘をならしたものというべきであるまいか」(「天災と大教訓」『実業之日本』1923年10月号)と述べていた。震災の人災の側面を捨象した議論であったにもかかわらず、都市の発展から疎外され、その華美な都市生活を苦々しく思う人びとには共感をよんだのであった。
震災から二ヶ月半たった11月10日、「国民精神作興ニ関スル詔書」が渙発された。この詔書は、「浮華放縦」をいましめ、「質実剛健」をめざすべきことを訴えたもので、国民の思想統制の方向を明示するものであった。天皇が罹災者に見舞金を出し、皇后が慰問を行うなど、人びとに「慈恵」を与えたこととあいまって、思想の「善導」を主とする国民統合がはかられることになる。
こうした動きのなか、12月27日、摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)が第48帝国議会開院式にむかう途中、アナキスト青年によって狙撃されるという、いわゆる虎ノ門事件が起こった。犯人は、代議士難波作之進の息子難波大助で、現場で革命万歳を叫んで走ったところを取りおさえられた。
『中央公論』編集者であった木佐木勝は、翌28日の日記に、「震災後人心の不安動揺がおさまらないときに、年迫ってまたこの事件(虎ノ門事件)である。大正一二年は混迷の中に暗い幕を下ろそうとしている」(『木佐木日記』)と記した。それは、震災を契機に時代が大きく転換し、重苦しい不安と深刻な動揺がおとずれようとしていることを予感したものであった。

現在のふがいない政治状況のもとで、強い指導者に憧れ、政治を託そうとする動きが強まるのではないかと危惧しています。震災天罰論が人びとの奥底で共感をよびおこし、暗い歴史が再び繰り返すことがないようにしないといけないと思っています。

この記事へのコメント

sheepsong55
2011年11月20日 12:45
本日の日本経済新聞の最終面に桶谷秀昭氏が、この石原の天罰論に共感を示し、石原をたたいた論調を非難しています。こんな文章を載せる日経というのもなんですね。
ずー
2018年06月25日 15:50
自分を例外だと考える輩に未来などありませんよ。
まぁ、石原氏の場合、例外の前に立派な老害ですけどねぇw

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