大逆事件から100年

今年は、1910(明治43)年に幸徳秋水、管野スガ、宮下太吉らが明治天皇暗殺計画を謀ったという大逆罪で逮捕され、処刑された大逆事件から100年になります。
大逆事件は、明治政府が無政府主義者や社会主義者を弾圧するためにでっち上げた事件ですが、幸徳秋水ら12名が死刑にされ、12名が無期懲役にされました。

犠牲者は全国各地で出ました。その中で和歌山県新宮では、医師の大石誠之助、新聞記者の崎久保誓一、僧侶の高木顕明、峯尾節堂ら6名が逮捕されました。
8月にNHKのEテレビで「埋もれた声-大逆事件から100年」が放映され、新宮グループの6人は全員死刑とされ、家族は「逆賊」といわれ排斥され、「学校ではいじめられて、会社の就職もままならなかった」だけでなく、遺族は戦後の自由な時代になっても汚名を消すことはできなかったことなどが報じられました。
そうした中、『赤旗日曜版』12月12日号に、日本体育大学名誉教授の正木健雄さんが、遠縁にあたる峯尾節堂の資料館を開設したインタビュー記事が掲載されていました。正木さんは、目に見えるかたちで大逆事件の真相と犠牲者の姿を伝えたいと考え、写真や手紙、獄中手記など関連資料を収集し展示することにしたのです。

峯尾節堂は臨済宗妙心寺派の僧侶で、事件のときは25歳でした。幼時から病弱な節堂は、俳句をたしなむ読書好きな青年で、社会主義にも関心を寄せていたようです。幸徳秋水と親交があった新宮の医師、大石誠之助のところに出入りしていました。明治政府は、この大石らとの交流をとらえて、逮捕したのです。わずか1か月あまりの裁判で判決が出たのが1911年1月。死刑でした。しかし、判決の翌日、明治天皇の「恩赦」で節堂は無期懲役に減刑となり、19年に千葉監獄で33歳で病死しました。

正木さんは、「臨済宗妙心寺派は、節堂を除名処分にしました。節堂たちは『国賊』とされ、新宮全体も『大罪人』を出した町として冷たい視線にさらされました。親戚には、軍隊でいじめにあったり、就職で差別された人がいました。私の母の話では、私の家の前を近所の人が避けて通ったそうです。町には戦後になっても事件のことを自由に言えない雰囲気がありました」と語っています。

戦後から半世紀以上がたった1996年、臨済宗妙心寺派が節堂の除名処分を取り消し、2001年には新宮市議会で犠牲者の名誉回復と顕彰の決議が可決され、顕彰碑が建てられました。
正木さんは、「名誉回復の決議で、私の中でもやもやしていたものが吹っ切れました。これからは事件のことを発言してもいいんだ、と」と、そのときのことを語っています。

いまもなお、密室の取り調べで検察の筋書き通りの供述をさせられ、無実の人が有罪にされる事件があとを絶ちません。9月の大阪地検特捜部による証拠ねつ造事件をみても、権力の犯罪はいつ起きるか分かりません。
大逆事件の真相を後世に伝えていくことは、権力によるフレームアップを抑止していくことにつながると考えています。
和歌山に行く機会があればぜひ、資料館を訪ねたいと思っています。

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『赤旗日曜版』12月12日号より

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