ハットゥシャシュ遺跡見学

アラジャホユック遺跡のあとはヒッタイト帝国の大城塞都市遺跡であるボアズキヨイに向かいました。

ヒッタイト民族は、紀元前14世紀~12世紀、鉄と軽戦車を駆使しながら、アナトリアに帝国を築き、古代中近東世界をエジプトと二分するほどの勢力を持ちました。しかし、紀元前12世紀初頭、ヒッタイト帝国の都ボアズキヨイ(古代名ハットゥシャ)は炎上し、終焉を迎えました。
ボアズキヨイは、ハットゥシャシュ(下の町、上の町)とヤズルカヤ(文字付きの岩の意)にわかれます。

ハットゥシャシュ遺跡は、1906年にドイツの発掘隊によって調査が開始され、1986年にユネスコの世界遺産に登録されたということです。

私たちは、ガイドさんの案内で、バスで乗り降りしながら、主な遺構を見て回りました。

〈下の町〉
ヒッタイト帝国の主神であった天候神と太陽神が祀られていた神殿、それを取り囲むかたちの倉庫群、アッシリア商人の居留区(カーレム)などの遺構があります。

紀元前14世紀に建てられた大神殿は倉庫群を含めてヒッタイト帝国時代最大の建造物だそうですが、いまは石の礎石部分しか残っていません。倉庫群の一部には床に埋め込んだかたちの大甕が残っているのが見られました。

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神殿跡

〈上の町〉
宮殿、神殿、ライオン門、王門、突撃門、ニシャンタシュ(記された石の意)などの遺構があります。

ライオン(獅子)門は、紀元前14世紀のもので、王門、突撃門と同様ドーム形だったと考えられていますが、上部構造は欠損しています。ライオンは高浮き彫りであり場外の門柱に設置されています。左手のライオンの頭部はかなり破損していました。

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ライオン門

王門も紀元前14世紀のもので、王門の城内側に浮き彫りが施されていますが、オリジナルはアナトリア文明博物館に展示されているそうです。

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王門

突撃門も紀元前14世紀のもので、ドーム形をしています。突撃トンネル用に70mを掘り込み、その部分に土でドームをつくり、その上に石を組んだものと思われています。その後、中の土は外され、ドーム形の回廊が出来上がったものと考えられています。この突撃門は、ヒッタイトの戦術に組み込まれたものであり、奇襲戦術に使用されたとされています。

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突撃門 城内から城外への突撃通路
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突撃門 城外出口部分

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