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zoom RSS 日本国憲法施行70年

<<   作成日時 : 2017/05/03 08:48   >>

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きょうは、日本国憲法が1947年5月3日に施行されてから70年を迎えます。
私が生まれたのが、この憲法が施行された同じ年の12月です。憲法とともに成長し、生きてきました。
私が結婚をするときに結婚式を5月3日にしたのも、憲法の精神を大事にしたいという思いがあったからです。

安倍政権のもとで、極右化があらわになり、秘密保護法の制定、集団的自衛権の容認、教育勅語の道徳教材容認、共謀罪法案の国会審議、と戦争のできる国づくりが着々と進められています。

安倍首相は5月1日、超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」の大会で、「いよいよ機は熟してきた」「(日本国憲法の施行70周年という)この節目の年に必ずや歴史的な一歩を踏み出す」とあいさつし、憲法改正に強い意欲を示しました。(『朝日新聞』2017年5月2日朝刊)

自民党などの改憲派は、日本国憲法がGHQによって「押しつけられたのだから自主憲法を制定しなければならない」と主張しています。しかし、その主張の根拠になった元国務大臣松本烝治の、1946年2月13日にGHQから憲法草案を渡された際、民政局長のホイットニーに「GHQ案を受け入れなければ、『天皇の身体』が保障できないと言われた」ので、「仕方がないからGHQ案を受け入れた」という証言は、古関彰一さんが明らかにしたように、信憑性が疑わしいものです(古関彰一『日本国憲法の誕生』増補改訂版、2017年)。

しかも、松本烝治が中心となって作成した政府の憲法改正案(「松本私案」)は、「天皇が統治権を総覧する」という大日本帝国憲法(明治憲法)の基本原則は変更されず、明治憲法とほぼ同じような改正案であり、日本が受け入れたポツダム宣言の原則からかけ離れた内容のもので、GHQが認めなかったのは当然でした。明治憲法のような憲法にしたい改憲派からすれば、GHQから認められなかったのを「押しつけ」と呼ぶのでしょうが、しかし、私たちはそれによって、国民主権、基本的人権を手に入れることができました。もし憲法が「松本私案」のような憲法であったならば、国民主権も、基本的人権が保障される戦後の民主主義もありえませんでした。そうであるならば、国民主権を放棄したいなら、また、戦争の廃止とひきかえに得た象徴天皇制も放棄したいなら別ですが、今なお「押しつけ」かどうかを議論することに、どんな意味があるのでしょうか。

また、46年6月に設置された芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会・小委員会の議事録等の資料が公開されて、GHQの憲法案に対する日本側の対応が明らかにされるようになり、日本側が議論をする中で積極的に修正を加え、内容を豊かなものにしていったこともわかってきており、「押しつけ」論のおかしさが明らかになっています。

NHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」(2017年4月30日放送)で放映されましたが、憲法第9条第1項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言は、GHQの原案にも、46年6月に帝国議会に上程された政府帝国憲法改正案にも、「日本国民は〜国際平和を誠実に希求し」という「平和」の文言はなく、どのように盛り込まれていったのかを、小委員会の速記録をもとに小委員会の議論をドラマで再現して、”平和国家”誕生の舞台裏を明らかにしました。
これは、古関さんの研究成果によるものですが、最初は「戦争放棄」のみであった第9条に書き込まれたのは、戦前に憲法・行政法を大学で教えていた日本社会党の国会議員・鈴木義男が第9条に「平和」に言及する修正案を出したことに始まります。そして他党の議員からも反対意見は出ず、芦田委員長も外務省の意向を汲むかたちでこれに協力した結果、「平和」が盛り込まれたのです。古関さんは、「この点だけでも、議会審議を通じてGHQ・政府両案の規定がより豊かになり、日本的な内容がつくられてきた事実がわかります」と述べています(古関彰一「憲法はGHQに押しつけられたという松本烝治国務大臣の証言はウソ」『週刊金曜日』第1134号、2017年4月28日・5月5日合併号)。

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こうした事実を無視して、日本国憲法は「GHQが1週間で作った」とか「押しつけられた」と主張するのは、あまりにも単純すぎます。

私が発掘した帝国憲法改正構想に、元金沢市の小学校長であった中村斉の憲法改正構想があります。中村は、「憲法の改正も米国の発案らしい、下手すると、国を挙げて米国のもととなるだろう」という危機感から、日本国民が主体的に憲法を改正すべきだ、と考え、1945年9月27日から10月23日にかけて、日記に改正構想を記しています。
その特徴は、(1)長く帝国憲法下に置かれていたこともあり、帝国憲法を下敷きに改正案を構想していること、(2)それにもかかわらず、その改正構想は、天皇の民主化・非政治化や基本的人権の尊重などに観られるように、現行の日本国憲法と基本的には同じ立場に立っていること、が指摘できます。
ユニークなのは、「天皇は人民の選挙により皇族中より之を択ぶ、若し其人なきときは之を欠く」という規定を設けていることです。
中村斉の憲法改正構想を、大日本帝国憲法と対比させて、その一部を紹介すると次のようになります。上段が帝国憲法、下段が中村の構想です。(山野晴雄「敗戦直後における一民衆の憲法改正構想」民衆史研究会編『民衆生活と信仰・思想』雄山閣、1985年)


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帝国憲法の改正案については、現在、14の民間憲法草案が知られていますが、憲法に限らず立法技術になじまない一民衆が、GHQからの「押しつけ」に対する危機感から、かなり進歩的な構想を提示したことは、評価されてよいものだと思っています。

自民党の憲法改正草案のように、GHQの「押しつけ」憲法だからと、明治憲法に後戻りするような改憲を構想するのではなく、せめて中村斉が構想したような改憲構想を示してもらいたいものです。自民党など改憲派による憲法改悪の動きに反対していかなくてはなりません。

日本国憲法施行70年を機に、子どもや孫たちのためにも、憲法の理想に少しでも近づけ、憲法の精神をより豊かなものにしていく責任が、私たち国民にはあります。今の憲法を擁護し、発展させていかなくてはなりません。

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