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zoom RSS 日光への旅2 日光金谷ホテル歴史館

<<   作成日時 : 2015/11/18 10:42   >>

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昼食のあと、本降りとなった雨の中を日光金谷ホテル歴史館まで歩きました。日光金谷ホテルのルーツとなる「金谷カテッジイン」が整備され、2015年3月に歴史館として一般公開されたのですが、4月に来たときには見学する時間がなかったので、今回、訪れることにしたのでした。

資料展示室で概要を説明するビデオを見たあと、女性職員が私たちだけのために、施設を案内しながら説明をしてくれました。
五右衛門風呂や台所、そして玄関。部屋の天井は刀を振り上げられないように低くしてあるのが武家屋敷の特徴だと説明してくれました。部屋数はそれほど多くないにもかかわらず階段がいくつもあり、各部屋に食事が運べるようになっていたのが分かります。また、建物の構造やていねいに作られた建物であることがわかり、1階の廊下のガラス戸は少し波打っていて明治時代のものであることが知られますが、そこから眺められるモミジの葉が庭に落ちていてきれいでした。

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金谷善一郎は、代々東照宮の雅楽師を勤める家に生まれ、自らも笙を担当する楽人でした。1870(明治3)年、アメリカ宣教師ヘボンが日光を訪れた際に自宅を宿として提供しました。ヘボンはヘボン式ローマ字をひろめたり、明治学院を創設した人として知られていますが、善一郎にたいして、日光を訪れる外国人専用の宿泊施設を作ることを進言しました。この言葉を受けて善一郎は、民宿創業を決意し、四軒町の自宅を改造して、1873(明治6)年に「金谷カテッジイン」を開業したのです。これが金谷ホテルの始まりとなります。
1878(明治11)年、ヘボンの紹介でカテッジインに逗留したイギリス人旅行家イザベラ・バードは、著書「日本奥地紀行」(1880年)の中で、日光や金谷家の様子を綴っています。善一郎については「とても快活で愛想のよさそうな人だった」と述べ、金谷邸については「今いる家についてどう記せばよいかよくわからないが、日本的な田園風景の世界ではある。家の内にあるもの、外にあるもののすべてが目を楽しませてくれる」とし、日光については「日光に滞在して九日になるから、もう「結構!」という言葉を使ってもよいだろう」と書いています。
イザベラ・バードの名前は、以前から知っていました。中央大学で「歴史学」を教えていたときに、「文明開化と民衆」のテーマで、当時の民衆が「裸体」でいることを政府は「開化」の観点から否定しようとしていたことを話しましたが、明治10年代でも多くの民衆が「裸体」であった例として、バードの「日本奥地紀行」に春日部を通ったときに農民が男女ともにほとんど裸体の姿で働いていることを描写していることを紹介したことがあるからです。
それはともかく、「金谷カテッジイン」は日光を訪れる外国人が安心して泊まれる宿として評判を得ていき、その宿は江戸時代には武家屋敷であったことから、外国人客は「金谷カテッジイン」をSamurai House(侍屋敷)と呼ばれるようになりました。

140年間、同じ場所に保存されてきた「金谷侍屋敷」と「土蔵」は、2014(平成26)年に国の登録有形文化財となり、ことし「金谷ホテル歴史館」として一般公開されるようになりました。

晴れていれば屋敷の前の庭を散策できたのですが、まだ紅葉を見ることができて、それなりに庭を楽しむことができました。

歴史館に隣接して「カテッジイン・レストラン&ベーカリー」があり、歴史館もここが受付となっていて、入館できるようになっていました。
見学後私たちは、ここで、珈琲とケーキを注文して一休みしました。

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