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zoom RSS 幻の鉄道・武蔵野競技場線

<<   作成日時 : 2015/10/16 07:02   >>

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武蔵野市の広報誌『季刊むさしの』2015年夏号(No.111)の「武蔵野ヒストリー」欄の特集は「幻の鉄道・武蔵野競技場線」。
1951(昭和26)年に開業し、わずか8年で廃線となった武蔵野競技場線と武蔵野競技場(東京グリーンパーク球場)の歴史が紹介されています。

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武蔵野競技場(『季刊むさしの』2015年夏号(No.111)より)

武蔵野競技場は、戦前、戦闘機のエンジンを製作していた中島飛行機製作所の工場跡地で、空襲で壊滅的な被害を受けたところですが、東海大学の創設者として知られる松前重義が社長を務めた、武蔵野文化都市建設が払い下げを受け、建設されたものです。
日本国有鉄道(国鉄)は、企業イメージの向上などのためプロ野球球団を結成することになり、国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズの前身)が誕生、そのホームグラウンドとして武蔵野競技場を使うことを決め、観戦客の誘致と輸送のために、三鷹駅と武蔵野競技場前駅を結ぶ約3.2Km、所要時間6分で結ぶ鉄道ルートの建設も決まりました。

野球場の建設と鉄道の開通は、予定より1年遅れ、球場は1951年4月に完成、鉄道も開業しました。
鉄道は、試合のある日は、東京駅〜武蔵野競技場前駅間を20分間隔で20往復、試合終了後は競技場前駅発の東京駅行き電車を連続7本運転した、と当時の新聞は報じています。
球場は、総面積1万5000坪、観客席は内外野合わせて5万1000人の収容能力があり、後楽園球場よりも大きく、甲子園球場に匹敵する規模だったと言われています。
プロ野球に先駆けて春の六大学野球リーグ戦が4月14日から行われ、プロ野球は5月5日に、国鉄(現・ヤクルト)対名古屋(現・中日)戦、名古屋対巨人戦が行われ、都内の小・中学生2万5000人が無料招待され、川上哲治、青田昇らのスター選手の活躍に熱狂したと言われています。

このように華やかにスタートを切った武蔵野競技場線と球場でしたが、1952年に米軍に接収されていた神宮球場が接収解除となったこと、都心部から離れていて交通の便が悪いこと、また国鉄スワローズの成績も芳しくなかったことなどの悪条件が重なり、わずか1年でプロ野球の試合は開催されなくなります。結局、プロ野球16試合、六大学野球19試合などを開催したのち、球場は閉鎖されました。そして競技場線もまた、実質1年で旅客運送を停止、その後は廃線状態のまま放置されていました。1959(昭和34)年10月にはレールや架線が外され、開業以来わずか8年の短い歴史に幕を閉じたのでした。

廃線の跡地は、散歩道として整備され、玉川上水に架かる「ぎんなん橋」には武蔵野競技場線のレールが残されています。ぎんなん橋の北側、武蔵野市側はグリーンパーク遊歩道、南側、三鷹市側は堀合遊歩道として、市民の憩いの場に役割を変えています。

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ぎんなん橋
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堀合遊歩道

ヤクルトスワローズが14年ぶりにセ・リーグ優勝をし、クライマックスシリーズ・ファイナルステージで巨人とたかっている現在、武蔵野競技場がかつてスワローズの本拠地であった歴史に思いをはせるのも悪くはないと思ったりしています。

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