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zoom RSS 特別公開 大雲院祇園閣

<<   作成日時 : 2014/08/20 22:39   >>

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特別公開の「祇園閣」を見学するために、円山公園から大雲院に向かうと、強い雨が降り始めました。

雨の中、総門を回り、南門から境内へ。本堂に案内され、ガイドさんより、大雲院、祇園閣の由緒などの説明を受けました。
説明を受けている間に、雨は上がっていました。

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大雲院は、1587(天正15)年、正親町天皇の勅命により織田信長・信忠の菩提を弔うため、御池御所(烏丸二条南)に創建されたもので、信忠の法号に因んで大雲院と名づけれた。開山は貞安上人。
豊臣秀吉の時代、1590年に寺町四条に移されたが、その周辺が商業繁華の中心となったため、1973(昭和48)年に元大倉財閥(帝国ホテルや大成建設、東京経済大学などの創始者)の大倉喜八郎の別荘「真葛荘」であった現在地に移転しました。

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祇園閣は、大倉喜八郎が1928(昭和3)年、御大典記念祇園祭の壮観を常に披露したいとねがって、山鉾を模して建てられたものといわれ、銅板葺き、鉄筋コンクリート造3階建て、高さ36メートルで、鉾先には金鶴が飾られています。
喜八郎は、金閣、銀閣に次ぐ銅閣を作り、ゆくゆくは一般公開し、京都の名物にすることを考え、築地本願寺や平安神宮を手がけた建築家・伊東忠太に設計を依頼しました。喜八郎は当初、突風にふかれて逆立った雨傘のようなイメージで作ることを求めたといわれ、それは設計的に無茶だったようで、伊藤は祇園祭の山鉾をモチーフにした形にまとめ、その形から「祇園閣」と名づけられたということです(http://guide.travel.co.jp/article/1536/より)。
こうして喜八郎が描いた夢「銅閣」が誕生しましたが、その後、この地に大雲院が移転してきて、「祇園閣」は大雲院の所有となったのです。
1988年、開創400年を記念して、祇園閣内部の通路・階段壁面に葛新民(中国安徽省・巣湖書画研究会副会長)の筆による敦煌莫高窟の壁画の模写が完成し、大雲院に奉納されました。

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(観無量寿経変相図(南壁、盛唐時代)『洛東龍池山大雲院祇園閣』より)

敦煌の壁画を眺めながら階段を上っていくと、祇園閣の楼上に出られます。そこからはぐるりと一周、京都市内が一望できます。これだけ広く京都の町並み、山並みを眺めることのできる絶景ポイントはない感じがしますが、撮影禁止になっていたのが残念でした。

祇園閣を出ると、織田信長・信忠父子の墓碑と石川五右衛門の墓があるというので見てきましたが、なぜ五右衛門の墓があるのかは知りませんでしたが、ネットで調べてみると、処刑前に市中を引き回しされた五右衛門が大雲院前に至った際、貞安上人が引導を渡した縁によるといわれています(大雲院Wikipediaによる)。

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八坂・円山公園の辺りは何回も来ていますが、ふだんは非公開の寺院で、祇園閣に入ったことはなかったので、いい思い出になりました。

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