三鷹の一日

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zoom RSS 旧古河庭園へ行く

<<   作成日時 : 2014/05/19 08:09   >>

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朝から晴れ上がり行楽日和となった5月18日、「春のバラフェスティバル」(5月10日〜6月8日)が行われている東京帰宅にある旧古河庭園に行ってきました。

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地下鉄西ヶ原駅から歩きましたが、7、8人でしたので、すぐには入れると思っていましたが、バラフェスティバルが開かれているせいか、門からの道路際にずっと行列ができていて、チケットを買い求めるまで12、3分待ちました。

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洋館の東側と南側のバラ園には、ちょうど見頃になったさまざまな色と品種のバラの花が咲いていました。

南側のバラ園はテラスが階段状に連なるイタリア式庭園と、平面的で幾何学的に構成されるフランス式庭園の技法があわせて用いられているということですが、バラの花越しに2つの三角屋根の洋館を眺める風景はきれいでした。

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バラの植えられた洋風庭園をひとめぐりしたあと、洋風庭園の下に造られた日本庭園を散策しました。庭園の中心に心字池を配置して回遊できるようになっています。京都の庭師・小川治兵衛が作ったものです。

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庭園を回って休憩をすることにし、洋館の中にある喫茶室へ。風格ある落ち着いた雰囲気の室内でコーヒーとフルーツケーキをいただき、ゆっくりすることができました。私たちの席からは外のバラの花を見ることはできませんでしたが、少し席を離れると窓越しに見ることができました。

この洋館と洋風庭園は、鹿鳴館やニコライ堂などを設計した建築家として知られるイギリス人のコンドルです。
妻からは、旧岩崎邸もコンドルでは、と言われましたが、確かに旧岩崎邸も彼の設計です。そのあと、ここは元は誰の邸宅だったのかを聞かれたので、陸奥宗光から足尾鉱毒事件の話までを簡単にしてあげました。

パンフレットには、ここの土地が明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、宗光の次男が古河財閥の養子になったときに、古河家の所有となったことは書かれていますが、古河財閥と足尾銅山との関係は一切書かれていません。妻には、陸奥宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者の古河市兵衛の養子で、古河が経営する足尾銅山からの鉱毒のため、渡良瀬川一帯の農地に鉱毒被害を与えた足尾鉱毒事件のことを説明しました。田中正造が鉱毒被害農民の救済のため帝国議会で政府を追及したこと、農商務大臣だった陸奥宗光は被害民救済をしなかったこと、また、陸奥宗光と関係の深い、のち内務大臣になった原敬は、古河の副社長だったことから、鉱毒問題を治水問題にすり替え、渡良瀬川の氾濫が被害をもたらしているのだから、谷中村に貯水池をつくり洪水を防げばよいと、谷中貯水池をつくったことなどを話しました。

そんな歴史と関係の深い旧古河庭園ですが、そんなことには関係のないようにバラは見事に咲き誇っていました。
帰りは駒込駅まで歩き、六義園近くのレストランでランチをして帰りました。

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