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zoom RSS 富岡製糸場、世界文化遺産へ

<<   作成日時 : 2014/04/27 16:59   >>

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ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に、世界の絹産業の発展に重要な役割を果たしたとして政府が推薦していた「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)が登録される見通しとなりました。ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)が「登録が適当」と勧告したもので、6月15日からカタールのドーハで開かれる世界遺産委員会で登録が決まれば、国内で18件目の世界遺産となります。

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朝日新聞デジタル2014年4月27日付

フランス・パリの世界遺産センターが4月25日(現地時間)、文化遺産の候補を事前審査するイコモスの勧告内容を日本政府に伝えたもので、イコモスは遺産候補を「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階で評価、富岡には「登録」を勧告したものです。

富岡製糸場(富岡市)は、1872年に明治政府が殖産興業政策のもとで設立した官営の製糸場で、国内の養蚕・製糸業を世界トップレベルに引き上げる役割を果たしました。近代養蚕農家の原型になった「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)、養蚕教育機関だった「高山社跡」(藤岡市)、蚕の卵の保存に使われた「荒船風穴」(下仁田町)とともに、海外から導入した技術を高度化し、世界の絹産業の発展につなげる舞台となったとして、2014年の世界文化遺産への登録を目指していました。

イコモスは、富岡製糸場について「養蚕と日本の生糸産業の革新に決定的な役割を果たし、日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となった」と指摘し、資産の保護措置も「適切に実施されている」と判断を示しています。推薦書の主張をほぼ認めており、文化庁は「パーフェクトに近い評価」と受け止めているということです。(『朝日新聞』2014年4月27日付朝刊)

私は2年前の夏に富岡製糸場を訪れたことがあります。

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そのときのことをブログに次のように書きました。

「ボランティアガイドによる説明付きの見学ができるというので、約20人のグループと一緒にガイドの説明を聞きながら見学をしました。

富岡製糸場は、1872年に明治政府が殖産興業政策を進めるために設置した官営模範工場の1つです。とくに製糸業は外貨獲得産業として重視され、政府は、生糸の品質改善・生産向上と技術指導者を育成するために、この模範工場をつくったのでした。

ボランティアガイドは、東繭倉庫の木材による骨組みの間にレンガを積み並べる「木骨レンガ造」や、繰糸場の柱のない広い空間が140メートルも続く「トラス構造」という工法の説明はされましたが、そこで働いた工女についてはあまり詳しい説明はしませんでした。
富岡製糸場に集められた工女たちは、伝習工女とよばれ、ここで技術を学び、のちに全国各地につくられた製糸工場に繰糸の技術を伝授する役割を果たすことになります。操業時、15歳から25歳の工女が募集されましたが、開業に必要な300人の工女が集まらず、旧藩士(士族)の娘たちが半ば強制的に集められました。のちに製糸場での様子を回顧した『富岡日記』を著した和田英(旧姓横田)は、当時16歳で、長野県の松代藩士横田数馬の次女で、15人の藩士の娘たちとともに富岡に入りました。なかには製糸場近隣の農村の娘や被差別部落出身の娘もいたといわれています。
彼女たちは、1日7時間45分労働で、のちに「女工哀史」といわれたような長時間労働を強いられたわけではありませんでしたが、1日に生糸にする繭の枡数をどうふやすかといった工女の競争意識を刺激した生産性向上がはかられ、賃金は一等工女25円、二等工女18円、三等工女12円、等外工女9円と、のちの産業革命期に日本の製糸工女たちを苦しめ「哀史」を余儀なくさせる一大要因となった等級賃金制の原型がすでに採用されていました。この工女の賃金は、フランス人技師のブリュナの月給は600円、フランス人工女は50〜80円ですから、それと比べると低賃金に抑えられていたことがわかります。
また、ガイドは、フランス人工女の宿舎は説明しましたが、日本人工女の寄宿舎についての説明はなく、6畳敷きに6尺の押し入れが2か所ついた3人用の部屋が120あったことはふれませんでした。さらに、診療所が設置されていたことは説明しましたが、1873年から92年までの官営富岡製糸場時代に工女56人が、親元を離れた異境の地富岡で死亡していることはふれませんでした。
こうしたことは、上条宏之さん(長野県短期大学)の著書『絹ひとすじの青春−「富岡日記」にみる日本の近代』(NHKブックス、1978年)や『民衆的近代の軌跡-地域民衆史ノート2』(銀河書房、1981年)で知ることができます。

富岡製糸場が世界遺産に登録されることになれば、富岡製糸場の光の部分だけでなく、影の部分も含め、その実像をきちんと見学者に説明できるガイドであってほしいと思っています。 」

このブログを掲載したところ、富岡伝習工女の中には被差別部落出身の工女もいたことに注目する人もいました。
フランス人工女から技術を直伝された一等工女のなかには被差別部落から入場した娘もいたのは事実で、『富岡日記』を表した横田英が、最初に糸のとり方をを教えてもらったのは入沢筆という女性でした。とてもやさしく教えてくれ、退場のときなど英の手を引き、妹のようにしてくれたので、英も喜び尊敬していました。しかし、「入沢と申す人は七日市の新平民だ」(『富岡日記』)と人々が英に注意をしたという。入沢筆は、一等工女ですぐれた技術指南者あったにもかかわらず、被差別部落出身者であったがために、不当な差別の中で懸命に技術指導にあたっていたのでした。横田英も、やさしくすぐれた師である入沢筆に人間的共感を持ちながら、結局その差別に荷担した一人でした(上條宏之『民衆的近代の軌跡-地域民衆史ノート2』銀河書房、1981年)。

イコモスがユネスコに対して富岡製糸場の世界文化遺産への登録を勧告したとのニュースが伝わると、普段よりも多くの観光客が見学に訪れたとのことです。
見学に訪れた観光客に対して、ボランティアガイドがどのような説明をしていくのかが重要だと思っています。
富岡製糸場の建物の説明や近代日本の製糸産業の発展に果たした役割など”光”の部分の説明に終わるのではなく、この製糸場で働いていた工女たちの実態、具体的には士族と農村出身の娘、山口・埼玉県出身と地方出身の娘との間の差別意識、部落差別、等級賃金制と糸とり競争、健康被害などの実態、いわば”陰”の部分も説明してほしいと思っています。


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世界文化遺産:富岡製糸場登録へ  かげに 「片倉工業」の3原則
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